田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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116.【田中規矩士・たなかすみこ夫妻をめぐる人々】6 全国いろおんぷ協和会会員番号144 村上ゆきの物語

(2024年11月9日投稿)

1961年(昭和36年)に発行された「全国いろおんぷ協和会名簿」というものがありました。(管理は中の人が厳重にしております。個人情報保護の観点から公開はいたしません。)

この会員名簿に「144番 村上ゆき」という名前がありました。住所は名古屋です。

実は中の人の遠縁に「『村上ゆき』という方がいて、名古屋でピアノの先生だった」ということを以前より他親族から聞いていました。

会員番号144番の村上ゆきさんと同一人物?まさかね。

「田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶β版」などの活動を親族に紹介をした所

「たなかすみこ先生ってゆき叔母様が尊敬していた方でしょ?ゆき叔母様の恩師のお一人よ。」

え!本当に?

これは驚きました。親族曰く

「ゆき叔母様は一時期たなかすみこ先生と親しく、いろおんぷで教えていたと思う。私は音楽は詳しくないので間違えていたらごめんなさい。」

 

村上ゆき

明治39年1906年)愛知県名古屋市生まれ。

愛知県立第一高等女学校卒。音楽好きで、ピアノ、声楽を嗜んだようです。

彼女がいつからピアノや声楽を習い始めたのかは不明。

戦後、ピアノ教師となって名古屋市内で音楽教室を主宰。

兄、村上海一は家業の傍ら写真家としても活躍したようです。

村上海一が遺した写真はこちら。村上ゆきの写真もあります。

kaiichimurakami.hatenablog.com

村上海一は1925年(大正14年)死去。享年27歳。早世が惜しまれます。

(2025年8月11日追記)

ゆきの実兄、村上海一の写真動画を製作しました。ゆきもよく知っている「大正時代の名古屋」の様子です。ご高覧いただけると幸いです。

 

www.youtube.com

動画の説明

45.村上海一の写真動画を公開しました。 - 写真家村上海一の世界

 

村上海一の写真は1923年(大正12年)秋から亡くなる1925年までのものです。同じ時代を生きて記録を残したのが、田中規矩士の弟、田中三郎。

tanakakeiichisaburou.hatenablog.com

横浜、東京、名古屋と場所は離れていますが、時代を共有した日記と写真となりました。

 

 

名古屋で「たなかすみこいろおんぷ」教授法を推進したのが、愛知教育大学教授だった今岡静子。彼女は東京音楽学校師範科卒で、たなかすみこの夫、田中規矩士東京音楽学校教授の門下生だった。

今岡静子もたなかすみこと親しく、1961年(昭和36年)、名古屋で「東洋音楽学院」という音楽学校を一緒に作ったり、一緒にヨーロッパ音楽周遊の旅に出かけたりしている。ヨーロッパのどこかで。

同じ名古屋で同じ「たなかすみこいろおんぷ」教授法関係ということで、村上ゆきは今岡静子教授とも親しかったのでは?と推測できる。

そしてやはり同じ名古屋出身のにしきさゆり(錦織さゆ里)。彼女も同郷ということで今岡静子教授とも親しかった。にしきさゆりもたなかすみこと共に名古屋で「いろおんぷメソード」の指導者講習会を始めとする関連イベントに参加しているのである。

この講習会やイベントに村上ゆきが参加していたかどうかはわからない。しかし親しかったという話から「参加していた」とも考えられる。となるとにしきさゆりと村上ゆきはどこかで何かを一緒にしていたかもしれない。

 

1924年大正13年)夏、兄、海一写す。場所は現在の名古屋大学医学部附属病院

 

兄の妻と一緒に。

女学生時代の村上ゆき。この写真は海一が写したものではありません。愛知県立第一高等女学校伝統の袴のすその一本線。この一本線は現在の後継校、愛知県立明和高等学校の制服にもあるそうです。

(これ以降の写真は海一撮影ではありません)

戦後、どこかで歌うゆき。

親族の話では「ゆき様は音楽をするからかハイカラで綺麗な方だったわ」とのことでした。