93.【田中規矩士・たなかすみこ夫妻をめぐる人々】4 田中規矩士の恩師ウィリー・バルダス1
(2024年5月17日投稿)
2020年8月、田中規矩士の妻、たなかすみこ(田中すみ)の親族によって東京藝術大学大学史史料室に遺品の一部が寄贈されました。その整理が終わり2023年6月23日に公開されました。
この寄贈史料の中に一枚の写真がありました。

(東京藝術大学 未来創造継承センター大学史史料室蔵。田中規矩士旧蔵)
どうやらピアニストのようです。そして何か言葉が添えられていました。
To Mr.Tanaka
田中規矩士に宛てた言葉のようです。古い写真でかなり色あせてしまったので読み取れないです。サインはウィリー・バルダスと読めます。そして1924年6月 東京 という文言。
この写真は東京音楽学校外国人教師のウィリー・バルダスの写真だと思います。
添えられている楽譜はショパンの子守歌Op.57のようです。
1924年(大正13年)、関東大震災のあくる年。この年の田中家の動きは、規矩士の弟「田中三郎の日記」に書かれています。
2月、バルダス教授が病気で規矩士兄が困っています。
tanakakeiichisaburou.hatenablog.com
6月、バルダス教授の告別演奏会が音楽学校であると書いています。
tanakakeiichisaburou.hatenablog.com
2月9日、規矩士はフロックコートを身に着けて東京音楽学校の演奏会に出演したようです。
tanakakeiichisaburou.hatenablog.com
6月8日、規矩士は福島県女子師範学校開校祝賀式の演奏会に出演。
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2月の演奏会と6月の演奏会では、規矩士はショパンの子守歌Op.57を弾きました。
この写真と「田中三郎の日記」に残る記述とで、どうやら規矩士はバルダス教授に子守歌のレッスンを受けたのかもしれません。それをバルダス教授は写真に書き込んだのかもしれない。
ウィリー・バルダス
1887年ウィーンに生まれる。ベルリンにおいてアルトゥール・シュナーベルとマックス・ブルッフの下で研鑽を積んだ。1923年(大正12年)から1924年(大正13年)まで東京音楽学校にて教鞭をとる。1924年ナポリにて没。
この1924年(大正13年)の離日のころ、バルダス教授は既に体調がかなり悪かったのかもしれません。日本を離れた同じ年に亡くなってしまいました。
(この記述を訂正します。詳しくは94【田中規矩士・たなかすみこ夫妻をめぐる人々】4 田中規矩士の恩師ウィリー・バルダスに書きました。2024年5月18日訂正。)
この写真はそんなバルダス教授の「本当の告別」の写真だったのかもしれません。
(22番にあります)
付記
この記事は東京藝術大学 未来創造継承センター大学史史料室にご教示いただきました。ありがとうございました。