田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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113.【田中規矩士・たなかすみこをめぐる人々】3 錦織さゆ里(にしきさゆり)「ピアノとともに―たなかすみこ先生との48年の日々」9 「全国いろおんぷ協和会」の講習会で豊増昇先生のレッスンを受ける~「全国いろおんぷ協和会」の広報部長

(2024年8月12日投稿)

「全国いろおんぷ協和会」の講習会で豊増昇先生のレッスンを受ける。

さゆ里「すみこ先生のお供で、豊増昇先生のところに行ったり、いろいろな所に連れていっていただけたわ。豊増先生のマスタークラスは印象に深い。ベートーヴェンやバッハの講習会もあったと思う。中田喜直先生の講習会もあったわね。」

(豊増昇(1912-1975)元東京音楽学校ピアノ科教授。戦後は武庫川女子大学音楽部長などを歴任。戦後はピアニストとしても活躍。日本芸術院会員。指揮者小澤征爾のピアノの師でもあった。田中規矩士の門下生。たなかすみことも親しく、「全国いろおんぷ協和会」の音楽顧問として、多くのマスタークラスを受け持っていたようだ。)

中田喜直(1923ー2000)作曲家。フェリス女学院で長年にわたって教鞭をとる。有名な曲は『夏の思い出』『小さい秋見つけた』など。東京音楽学校時代に田中規矩士に師事。規矩士亡き後も妻、たなかすみことも親しかった。)

さゆ里「豊増先生は私のことを『にっすぃきさん』って言うのよ。ご一緒にお花見をしたわね。懐かしいわ。もちろん木村先生の所にもレッスンに通っていたわよ。すみこ先生の方針で、全国いろおんぷ協和会の会員の演奏会も多かった。すみこ先生のお薦めもあり、積極的に出演したわね。いろいろと経験を積ませていただけた。すみこ先生に感謝しています。」

 

「全国いろおんぷ協和会」の広報部長。

さゆ里「広報の仕事は、いつの間にか「協和会ニュース」を書くことになったのよ。1984(昭和59)年から1997(平成9)年3月までは、私が編集をして発行していた。いろおんぷ指導講習会も多くやった。地方に行くことも多かったのよ。いろおんぷ全国大会のプロジェクトマネージャーも数多くやったわ。」

いろおんぷ指導講習会

1959年(昭和34年)いろおんぷ指導講習会@銀座ヤマハホール

 

どこかの発表会にたなかすみこの代理で行く。ご挨拶を代読する。

エテルナ楽器音楽講習会

「全国いろおんぷ協和会」の合同発表会「いろおんぷ全国大会」の時に、「講習会形式」というプログラムがあった。これはステージ上で「いろおんぷの紹介」と「簡単な指導講習会」をするものであった。これの最多出場はおそらく錦織さゆ里(にしきさゆり)と思われる。これはこのような感じのステージであった。

【田中邸に響く音 第2ステージ|にしきさゆり たなかすみこいろおんぷを語る】

www.youtube.com

麻里「ところで、協和会の仕事でお忙しの時、私をどうしていたの?」

さゆ里「あなたが小さかった頃は専業主婦が多い時代でね、保育園はどうもパッとしなかったので、ベビーシッターよ。今と違ってまだ人件費がそんなに高い時代でもないし、ピアノブームでそれなりの収入もあったからね。私は東京に親戚がなかったので、親戚には頼れなかったの。あとすみこ先生の家に連れていくことも出来た。そこも先生に感謝しているわ。」

麻里「そうね。きくの間の窓の下で絵を書いたり本を読んだりして待っていると、すみこ先生がおやつを持ってきてくださったわね。あの窓を見ているとそれを思い出すわ。」

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