111.【田中規矩士・たなかすみこをめぐる人々】3 錦織さゆ里(にしきさゆり)「ピアノとともに―たなかすみこ先生との48年の日々」7 愛知教育大学から武蔵野音楽大学へ。
(2024年8月11日投稿)
愛知教育大学へ進学
さゆ里「高校3年生の時、名古屋に戻った。父が医師だったので、医学部を受験するつもりだったんだけど、病気になっちゃって受験が出来なくなってしまったの。この当時は女子が浪人すると『結婚に差しさわりがでる』なんていう時代。ということで『ちょっとピアノが弾けるから』という理由で、愛知学芸大学(現、愛知教育大学)音楽科に進学したの。ほぼ独学だったから、入学出来たときにはうれしかったわ。」
さゆ里「愛知教育大学で初めて『東京音楽学校卒』のきちんとした先生に習ったの。それで、もっとピアノが弾きたいって思ってね。その先生の勧めで東京にやってきたのよ。」
麻里「この先生が加藤恵美子先生ですね。東京音楽学校師範科卒。のちに愛知教育大学教授になりました。そしてピアノは加藤先生の紹介で小津恒子先生に師事したのよね。」
さゆ里「そう。小津先生は、東京音楽学校ピアノ科卒だった。井口基成の門下生だった。初めてきちんとピアノを専門に勉強した先生に習えたのよ。」
武蔵野音楽大学に進学
麻里「東京では武蔵野音楽大学に進学したのよね。なんで武蔵野にしたの?」
さゆ里「武蔵野の近くに親戚があったの。昭和28年ごろなんて女性が一人で泊まれるようなホテルもないしね。大抵親戚の家に泊めてもらったりしたものよ。たまたま武蔵野の入試課題曲が、私に合っている曲だった。」
さゆ里「1953年(昭和28年)に入学よ。名古屋で加藤先生や小津先生に師事するまできちんとした先生に習ったことがなかった。独学で自己流だった。やっと昼間部の短大に合格できた時はとてもうれしかったわ。憧れの東京でピアノの修行が出来るのよ。」
さゆ里「余談だけど、高校の修学旅行が東京だったの。自由時間に銀座のヤマハに行ってね、お土産に楽譜を買ったのよ。そして『将来は東京に住んで、いつもここに楽譜を買いに行く生活がしたい』って思ったの。
武蔵野音大進学でその夢も叶ったわ。」
さゆ里「武蔵野時代は、木村富貴子先生だった。この方は東京音楽学校ピアノ科卒で、卒業演奏会にも出演されるくらいの優秀な方だった。まだ若い先生だったのよ。地方から出て来たから田中規矩士教授なんていう偉い先生には師事できないわね。」
麻里「木村富貴子(旧姓中野)先生は『東京芸術大学百年史』によると、昭和18年9月卒。田村宏とか中田喜直とか畑中良輔とかの同級生ですね。」
さゆ里「木村先生は本当に熱心に教えてくださったの。それで私も一生懸命練習したのよ。武蔵野時代は校舎の隣にあったむらさき寮に住んでいたの。楽しかったわ。」
さゆ里「2年卒業の時に頑張って大学の3年編入試験を受験。合格したのよ。その時に弾いたのがベートーヴェンのテンペストの終楽章。(17番Op.31-2)編入試験にも合格できて本当に良かった。」
木村富貴子先生と。

←武蔵野音楽大学2代目校舎の入り口の階段にて。左が錦織さゆ里

さゆ里「東京暮らしは楽しくてね。でも親が『そろそろ帰ってきて結婚しなさい』って。(そういう時代です。)でも東京楽しいから帰りたくない。ということで、東京で就職しようと思ったの。武蔵野で推薦してもらってNHKとかTBSの就職試験を受けたんだけど、落ちちゃったのよ。で、2月に教員採用試験があって受験したのよ。(この当時は7月ごろと2月ごろと教員採用試験が2回あったそうです。)この就職の時に、福井直弘先生がいろいろとご指導やお世話をしてくださってね。福井先生には感謝しているわ。」
(注:福井直弘(1912-1981)武蔵野音楽学園創立者福井直秋の次男。ヴァイオリニスト。東京音楽学校卒。ベルリンに留学。1962年(昭和37年)武蔵野音楽大学長に就任。全日本音楽教育研究会会長、ユネスコ国際音楽評議会常任理事、国際音楽教育協会会長などを歴任して音楽教育に尽くした。)
さゆ里「学校時代最大の思い出は二つ。一つはプリングスハイム教授指揮でマーラーの『千人』(マーラー作曲交響曲第8番)を歌ったこと。素晴らしかったわ。あと一つは東北地方に演奏旅行に行ったこと。東北なんて行ったことがないから楽しかったわ。十和田湖まで行ったのよ。合唱で行ったの。」
東北演奏旅行の一コマ。福井直弘氏とさゆ里が一緒に写っている。
(1956年昭和31年6月)

(ピアノではなくて、合唱で行ったようです。)


(注:クラウス・プリングスハイム(1883-1972)ユダヤ出自のドイツ出身の指揮者・作曲家。東京音楽学校外国人教師として1931年昭和6年来日。その後日本と海外に出入りはあったものの結局日本に定住。同地で亡くなった。マーラーの弟子としての顔もあり、マーラー作品の日本初演を多く行った。指揮者山田一雄は門下生。1951年より武蔵野音楽大学教授。)