110.【田中規矩士・たなかすみこをめぐる人々】3 錦織さゆ里(にしきさゆり)「ピアノとともに―たなかすみこ先生との48年の日々」6 戦争が終わった~音楽への目覚め
(2024年8月10日投稿)
戦争が終わった
さゆ里「終戦の玉音放送はその山の中で聞いた。戦争が終わったのでホッとした。そして灯火管制がなくなって、世の中が明るくなったのがとてもうれしかったわ。ピアノ?のんびり弾いているような余裕はないわね。」
さゆ里「結局10月に元いた街に帰ってきた。この帰る前日に台風が来てね、目の前で土石流が発生してね。これも怖かったわ。」
麻里「阿久根台風だと思います。兵庫県で被害が大きかったと言われていますが、秋雨前線を刺激して、各地で大雨になったとか。戦争のために山ではかなりの木が伐採されていたそうなので、山ははげ山だったかもしれないね。」
さゆ里「元いた街に帰ってきたけど、ピアノはないの。でも女学校のピアノでぽろぽろ弾いていたら、先生がピアノを教えてくれた。その先生がなんと天然痘になっちゃったのよ。私、今で言う『濃厚接触者』よ。父がものすごく心配したけど、なんともなくてホッとしたわ。」
さゆ里「昭和20年(1945年)戦争が終わって、たくさんの人が外地から引き揚げて来たのよね。(一説には500万人とも600万人とも)私が住む街にも、昭和20年冬くらいから、たくさんの引揚者がやってきてね。外地から復員した元兵隊さんもいっぱいだったよ。外地から復員した兵隊さんも引き揚げて来た人々も、大変な苦労をして帰ってきた。引揚者、そして復員兵は心労で、すっかり弱って帰ってきた。日本だって戦後まもなくでみんな栄養失調だし、弱っていた。そこに外地から病気がたくさん持ち込まれてしまってね。
(注:外地から病気が持ち込まれてしまったことの本当の所はどうなのかはわからない。でも当時はそういう風に言われていたようだ。)
「昭和20年冬から昭和21年にかけてあちこちで病気が発生したのよ。赤痢、発疹チフス、結核、マラリア。クラスメイトがジフテリアになったりもしたわね。」
(注:【占領期における急性感染症の発生推移】(日本医史学雑誌第53巻第2号(2007))
http://jshm.or.jp/journal/53-2/229.pdf
愛知県で天然痘が出たことも書いてあります。)
さゆ里「女学校の先生の引率で、岐阜まで音楽会に行ったの。演目はベートーヴェンの運命よ。指揮は近衛秀麿だった。会場は岐阜市公会堂だと思う。ところが電力事情が悪くて途中で停電しちゃったのよ。結局ろうそくの光で運命を聞いた。なんだか胸に迫ったわね。」
【岐阜市公会堂(現存せず)】
音楽への目覚め
さゆ里「女学校の校長室のお掃除当番の折、ボロディンの『中央アジアの草原にて』のレコードを見つけて皆で聴いたの。私、感動しちゃって。無性にピアノが弾きたくなったんだけど、家にはピアノがない。ということで学校の体育館にあったピアノは、生徒が勝手に弾いていいので、朝から晩まで閉じこもって一日中ピアノを弾いていたわ。ピアノの先生?たまに女学校の先生が教えてくれたけど、ほぼ独学よ。楽譜は学校の図書館にあったから、それを写譜。頑張っているのを見た父が、闇市でソナチネアルバムを見つけて買ってくれた。」
