107.【田中規矩士・たなかすみこをめぐる人々】3 錦織さゆ里(にしきさゆり)「ピアノとともに―たなかすみこ先生との48年の日々」3 南山小学校に入学。私が受けたピアノ教育。
(2024年8月10日投稿)
南山小学校に進学
さゆ里「小学校は名古屋の南山小学校よ。戦前にたった5年間だけあった小学校」
(注:南山小学校は南山学園の付属小学校として1936年に愛知県唯一の私立小学校として設立。1941年閉校。その後2008年に南山大学附属小学校として復活。)
幼稚園時代に病弱でいろいろな病気をしてしまったの。就学前検診で引っかかってね、『養護学級に入学を命ず』って通知が来ちゃったのよ。昔の養護学級はいい加減なものも多くてね、虚弱児も知的障碍もみんな一緒くただったのよ。父がびっくりしちゃって、伝手をつけて開校したばかりの南山小学校に進学したの。
南山小学校は大正自由主義教育とキリスト教カトリック主義の小学校よ。軍国主義とは縁遠かった。この学校で始めて外国人を見たの。校長のライネルス先生よ。優しく微笑んで『子どもはつぼみのようで』って言ったの。そして本館中学校にあった礼拝堂に行くと神父様やシスターがいて、お祈りをしたの。日曜学校もあって聖歌を歌ったり、お話を聞いたりして、綺麗なカードもいただけたのよ。それが楽しみで、一生懸命通ったのよ。私の音楽の原点はここだったかもしれないわね。」
(注:南山学園アーカイブスニュースにさゆ里が小学校の思い出を寄稿しています。)
【『南山アーカイブズニュース』 第8号―錦織さゆ里 南山小学校の思い出(2015)】
さゆ里さんが受けたピアノ教育は?
麻里「ピアノはどういう教材を使ったの?」
さゆ里「大判のバイエル。子ども向けの横に長いバイエルだった。あとは先生が書いた手書きの教材。」
麻里「これじゃないかな?『新しいバイエル』」
(国会図書館デジタルコレクションを見せる)
【園田清秀著 新しいバイエル 婦人の友社 1936年】
(ログインをすると見ることが出来ます。)
さゆ里「そう!これよ!懐かしいわ!」
(注:1936年昭和11年、ピアニスト・教育家の園田清秀が『新しいバイエル』出版。これは丹羽もと子主宰の自由学園の「自由学園音楽グループ」の実験的ピアノ教育のために書かれたものである。このバイエルは子どものために改良したものでもあった。安田寛著 『バイエルの謎: 日本文化になった教則本』新潮社(文庫)2016年によると、たなかすみこの「いろおんぷばいえる」はこの園田バイエルに「いろおんぷ」というものを付加したものだという。錦織さゆ里がのちにたなかすみこの所で、「いろおんぷばいえる」の改訂などに携わるのは不思議な話である。)
さゆ里「私、多分絶対音感訓練もやってる。先生が音を弾いて「ツェーエーゲー」とか言ったのよ。私、わりと良くできて、先生に褒められたんだった。先生が『この子は筋が良い』って言ったもんだから父が喜んでね。(笑)」
(注:話を聞いていて笈田光吉の絶対音訓練をやったのでは?と推測する。)
さゆ里「レッスンはグループレッスンだったと思う。『稽古日』っていうのがあって、その日に行くと何人もの生徒がレッスンを聞いていたり、待合室で待っていたりした。上手な先輩の演奏を聴いて憧れたりもしたわね。」
さゆ里「初めての発表会は名古屋市公会堂よ。1939年(昭和14年)。時節柄この年からドレスが禁止になってしまった。ただ前年の発表会に参加した人は、『同じドレスなら着用可』となったの。ということで、私はワンピースだったんだけど、どうしても他の人が来ているドレスが着たかった。『ドレスじゃないと弾かない』って怒っちゃってね。母があわてて松坂屋デパートに行って大きなリボンを買ってきてつけてくれた。それで機嫌を直して弾いたのよ。曲はフランスの子守歌っていう曲だった。」
(注:1938年昭和13年国家総動員法が成立。そろそろ「贅沢は敵だ」の時代となっていました。)
nagoyashi-kokaido.hall-info.jp
(この写真はリボンをつけていませんね。リボンをつける前に撮影したのかもしれません。微笑)
