101.【田中規矩士・たなかすみこをめぐる人々】2 角田光「ピアノとともに―たなかすみこ先生との45年」2 ピアノを始めた経緯~そして東京へ
(2024年7月16日投稿)
ピアノを始めた経緯
角田「私は北海道の美唄炭鉱で生まれたのよ。父は東京帝国大学工学部卒。三菱鉱業株式会社に入社。一貫して鉱山の技術開発に当った。母は東京出身。
女学校は樺太よ。(現在のサハリン)樺太の豊原高等女学校(現在のユジノサハリンスク)に入学した折、東京本社に出張した父が、銀座の山野楽器にて、女学校入学祝としてピアノを買ってくれたの。先生は女学校の音楽の先生だった。(注1)13歳になる年よ。」
角田「当時の樺太にきちんとした先生はいないわね。それでも私はピアノに夢中になってしまったの。」
(注1:樺太庁豊原高等女学校。1916年(大正5年)、樺太(現在のロシアサハリン州ユジノサハリンスク)に設立された高等女学校。1929年(昭和4年)修業年限が5年と定められたが、1937年(昭和12年)修業年限が4年に短縮され、修業年限1年の家政科と修業年限2年の小学校教員講習所が附設される。角田様が女学校4年修了時のあと、どうしたのかはわからない。
豊原高等女学校には寺井田鶴という音楽の先生がいた。彼女が手ほどきをしたのか?本人に聞いてみたかった。)
【国立国会図書館デジタルコレクション|中等教育諸学校職員録昭和11年|豊原高等女学校】
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1446094/1/726
現在国会図書館デジタルコレクションや、札幌市中央図書館デジタルライブラリーなどに、角田様がいたころのユジノサハリンスクの写真が多く掲載されている。本人に見せて何か思い出を語っていただきたかった。
【札幌市中央図書館デジタルライブラリー|(樺太豊原市名勝) 豊原市高等女学校 (樺太豊原市名勝) 庁立 豊原中学校】
【札幌市中央図書館デジタルライブラリー|樺太庁豊原高等女学校 (樺太豊原)】
【国立国会図書館デジタルコレクション|樺太写真帖|昭和11年】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1216618)
そして東京へ。
角田「女学校修了時、父が東京転勤になったから、一緒に東京に来たの。(1942年昭和17年?)父の伝手で鉱山系会社のOLもしたわ。(勤労動員の可能性あり)東京のYWCAに中村ハマ子先生という方がいらして、その方からピアノを習った。でもそろそろ戦争の時代で、ピアノを弾いてはいられなくなったわね。」
にしき「戦争中はピアノを弾いていると『非国民』って言われちゃうから、あんまり弾けないわね。」
角田「そうそう。」
(注2:角田さんは戦争中はどこにいて、何をしていたのかはわかりません。)
(続く)
ピアノを弾く角田光さん
