田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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99.【田中規矩士・たなかすみこ夫妻をめぐる人々】1奥田操「恩師田中規矩士先生の思い出3」田中規矩士先生のお人柄

(2024年6月19日投稿)

田中規矩士先生のお人柄

奥田「私は先生の『はいそこまで』って言うのはね、やっぱり意味があったと思います。(注10)

先生は褒めるのが上手なの。とても上手なの。

私がみんなの前で弾くとね、田中先生は『あなたは手が小さいっていつも思っているようですけどね、弾いているのを見てるとね、そんなに小さく見えないよ。』っておっしゃるの。そう言われるとね、なんだかとても嬉しいのよ。褒めるのよ。褒め上手。あまり怒られた覚えはありません。

規矩士先生は、頭を撫でてくれるくらい褒めるの。『よく出来たね』って。

試験のあとは『奥田さん、試験良く弾けたね』ってニコニコして褒めてくださるの。それが嬉しくて嬉しくてね。また今度も『試験が済んだら先生が褒めてくださる』と思って、一生懸命やったの。

先生が『良く弾けたね』って褒めてくださるのが嬉しくてたまりませんでした。

そのあと胃がお悪くなられて。ご病気でね。田園調布のレッスン室(きくの間)に座っていらした。伺ってもお元気がなくてね。もう褒めてもいただけなくなった。(注11)」

(注10:田中規矩士の「はいそこまで」はどうやら関係者の間では有名だったらしい。妻、たなかすみこの著作にも多く思い出として語られている。錦織さゆ里も「試験の時にいつも田中教授が『はいそこまで』って言うの」という思い出を語っている。他の関係者の証言にも多く出てきている。)

(注11:田中規矩士は1955年(昭和30年)8月に胃がんで死去。生前胃弱だったと伝えられてはいるが、比較的元気だった。ところが同年6月ごろから急に体調不良となった。錦織さゆ里の話では「夏前に急に田中教授休講の掲示が出たの。そしたら『田中教授は重病らしい。門下生が慌てている』という噂を聞いた。そして8月に訃報が出てね」だそうである。)

 

奥田「何しろ母が田中先生は偉い先生だと思っているからね、お辞儀をしてね、本当に丁寧な。母は明治の人だから、とにかく先生に『至らぬ子でございますけれど、どうぞよろしく』とすごく丁寧にお辞儀をするわけ。次の時にね、田中先生が『あなたのお母さんはいいお母さんだねえ』て褒めるの。褒めるのがうまいの。お母さんを褒められると嬉しい訳よ。『この間の試験は上手だったねえ。みんな先生たちがそう言ってるよ。』とかね。叱るより褒めよ。言葉が丁寧。汚い言葉なんて使わないし、冗談もあまり言わない。いつも丁寧。『はい、奥田さん(口調を真似する)。はいどうぞ。はいそこまで。』

錦織「家(田中規矩士と妻のたなかすみこの自宅教室)で子どもが来る(子どもの生徒のこと)と、(田中規矩士は)『あちらへ』っておっしゃるのよ。」

奥田「そうそう」

奥田「(規矩士先生は)楽徒。真面目な青年。真面目というか、女性とつきあったことがないのかしら?でも音大に行っていたんだから女性はいたわよねえ。なんだかよくわからないけど。私はすみこ先生のような外向的なお嬢様と、どういう風な縁があってね。全然あのご夫婦のね、性格がね、あれほど違うご夫婦というのは珍しいと昔思いました。お見合いだろうけど。」

麻里「いえ、お見合いじゃないです。恋愛結婚です。すみこ先生が一目惚れをしたんです。(注12)」

奥田「(目を丸くして)え?お見合いじゃないの?」

(注12:田中規矩士・たなかすみこ夫妻の出会いは1923年大正12年、すみこが田中規矩士に師事した時と伝えられている。どうやらすみこが一目惚れをしてしまったようで、その話はすみこの著作に多く書かれ、そしてすみこ自身が周りにも盛んに言っていた。)

 

錦織「だからすみこ先生は規矩士先生が(女生徒に)取られちゃったら大変だから、見事なお弁当を作られたんです。(音楽大学は女子学生が多い)」

奥田「いろおんぷ弁当!」

錦織「そ!」

麻里「ご存じですか?」

奥田「それは聞いたことがある。七色なのよ。ドレミファソラシ。」

錦織「そしてふたを開けると、旗がピュッと出たりね。」

麻里「今でいうキャラ弁を作っていらして、そのキャラ弁が武蔵野の教員室で有名だったそうですよ。」

奥田「私は学生だったから教員室には入らないからそれは知らない。でもいろおんぷ弁当を持っていらっしゃるというのは聞いたことがありますよ。」

錦織「私も学生だから見た訳ではないけど、他の先生から聞きました。教員室で有名だったとか。」(注13)

 

(注13:いろおんぷとは田中規矩士の妻、たなかすみこが開発した幼児音楽教育メソード。楽譜を色で理解しやすくしたものである。ドは赤、レは黄色、ミは緑、ファは橙、ソは空色、ラは紫、シは白と色が決まっている。すみこはこの七色を使ったキャラ弁を作っていたようである。)

 

(後略)

(付記)

本インタビューにご協力いただいた奥田操様、そして紹介の労をとってくださった

神崎圭伊子様に心より御礼申し上げます。

(了)