田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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98.【田中規矩士・たなかすみこ夫妻をめぐる人々】1奥田操「恩師田中規矩士先生の思い出2」武蔵野音楽大学における田中規矩士のレッスン

(2024年6月19日投稿)

武蔵野音楽大学における田中規矩士のレッスン

奥田「田中先生といえば姿勢を正さないといけないくらい偉い先生だから、あの先生はね、月曜日しかいらっしゃらないのよ学校へ。あのころはね、ストーブもないし、こんな大きな炭の火鉢が熾してあって、昔の校舎の16室っていうピアノのレッスンでは一番広いお部屋があったの。今で言えばそうね20畳くらいの。」

錦織「2階でしたよね。」

奥田「1階だと思うけど。」

奥田「大きな囲炉裏があって、そこに炭が熾してあって、それに暖まって。学校のレッスンは9時から始まるの。それが私の場合どういう訳か『奥田さん8時半に来なさい』って田中先生はおっしゃるの。私だって学校に行くのに1時間くらいかかるわよ。学校から規矩士先生の家は、私の家からより遠いのよ。田園調布だから。なのに私より早く、必ず着いていらっしゃるの。私が行くともう部屋にいらっしゃるの。私が一生懸命早く行っても部屋にいらっしゃるの。それで私が部屋に入ると、先生の方が最敬礼なさるの。私が1回お辞儀をすると先生は2回くらいお辞儀をするの。あんな先生はいらっしゃいません。」

錦織「だからすみこ先生がものすごく尊敬していらっしゃいました。」

奥田「そう思いますよ。それで規矩士先生が『あったまったか?』って言ってね。『よく来たね』って。優しいのよ。しかも休まないのよあの先生は。それで8時半なんて学校には誰もいないのよ。小使いさん(用務員)より早くいらっしゃるのよ。有名でしたよ。そのうちに武蔵野を作った亡くなったおじいさま、直秋先生が(武蔵野音楽大学創立者福井直秋氏のこと。)『炭火は赤いでしょ?赤いものを見ると人間はあったかいって思う。だからこれでいいんだ』って。炭は煌々と。炭であたって。それで冬なんか8時半からレッスン。

特別に30分長かったのかもしれない。少しは目をかけてくださったのかもしれない。

『この子は教えれば出来るようになるな』

って思ってくださったのかな?と思うと、今でも涙が出ちゃうの。ありがたくて。

校舎の建て替え(注7)で古い校舎を壊す時、16室にみんなで花を持っていって投げ入れましたよ。今の校舎の前よ。」

錦織「私が入学した時は、その古い校舎でした。」

(注7:武蔵野音楽大学の前身武蔵野音楽学校は1929年(昭和4年)創立。初代校舎はその時に木造で建築された。武蔵野音楽学校は1949年(昭和24年)武蔵野音楽大学になる。初代校舎は1954年(昭和29年)に取り壊されて、1955年(昭和30年)2代目校舎となった。その後2代目校舎は取り壊されて2017年(平成29年)3代目校舎が竣工。奥田氏と錦織氏が言っているのは、初代の木造校舎のこと。)

 

www.musashino-music.ac.jp

 

奥田「これからの時代には、ああいう先生にはなかなかお目にかかれないかもしれませんね。

私は豊増先生に薦められて武蔵野に入って、田中先生についたの。生徒は2人くらいしかいなかったと思う。」

 

(注8:ここで武蔵野音楽大学創立者福井直秋氏の長男、福井直俊氏の話題になった。福井直俊氏はピアニスト。元東京音楽学校ピアノ科教授。田中規矩士と同僚であった。戦後東京藝術大学学長に就任。奥田氏の証言によれば、福井直俊氏と田中規矩士は仲が良かったとのことである。この話のところの録画はない。)

 

奥田「田中先生に初めてお目にかかった時、50歳くらいでいらしたと思う。私は『変わったおじいさん、堅物のおじさんだな』と思ったわよ。知らないから。『これがピアノの先生?』って思ったけど、ついてみたら、『これほど素晴らしい先生はいない』って今でも思っています。」

錦織「背筋のピンとした方でしたね。」

 

 

麻里「田中先生からどんなことをご指導いただきましたか?」

奥田「一口では言えませんが、何よりも素晴らしいのは、私にとって『ピアノの勉強の仕方』と言えます。これまでの先生とはいろいろと違っていました。

これまでの先生はとにかくたくさん譜読みをしていかなくてはならなかったのです。しかし田中先生は2ページくらいで、もっと先まで弾けても『はいそこまで』なのよ。次だって『はいそこまで』になるんだから、あまりやらなくていいのよ。

で、田中先生は一緒に弾いてくださるのよ。ゆっくりと。こっちは覚えちゃっているから眠っちゃうのよ。先生一生懸命弾いているのに眠って弾いて。悪い事したなあって今でも思う。睡眠不足でね。先生いい気持ちになって弾いてくださるのに。

それで一緒に弾いてくださるけど、それがまたいい音なのよ。」

麻里「規矩士先生のピアノはとても綺麗な音だったと他の方も言っていらっしゃいました。」

奥田「勿論よ。素晴らしい音色の持ち主でした。

そして指使いとか『こっちの方がいいと思う』とか。手取り足取り教えてくださる。一緒に弾いてくださるのは最初だけね。速くなると先生もさらってないから弾けない。」

麻里「丁寧に教えてくださる先生だったのですね」

奥田「ものすごく丁寧。あんなに丁寧に教える先生はいませんよ。私も卒業してから田中先生のようになろうなろうって何十年も思っていましたが、出来なかったと後悔していますよ。

田中先生はね、何でも出来る人。田中先生のような先生は、これからの日本の音楽界にはきっと出ていらっしゃらないかもしれない。しかもね、性格が謙虚。威張らなくてね、人間的にも素晴らしい方ですよ。」

(続く)