(2022年3月15日投稿)
このブログを公開した後に、筆者が未知の田中規矩士リサイタルがあったことがわかりました。
当日のプログラムはこれである。書き込みは元々あった。誰が書いたのかは不明。
1.ハイドン:ソナタ変ホ長調。(作品番号が書いてないので、どの曲かわからない。しかしソナタアルバム2巻に載っているこれかもしれない。)
ハイドン :ソナタ 第43番 Hob.XVI:28 op.14-2 変ホ長調
3.グラズノフ作曲《主題と変奏》作品72(1900)
4.aスクリャービン作曲《2つの詩曲》作品32 (1903)
4.bラヴェル作曲《亡き王女のためのパヴァーヌ》(1899)
4.cドビュッシー作曲前奏曲集第1集より《ミンストレル》(1905)
演奏の記録の方も訂正をしておきます。
この演奏会はベルリン留学の成果を発表するものであったと思う。それがグラズノフやスクリャービンであったかと推測する。ロシアものはやはりクロイツァー教授直伝であろう。グラズノフはクロイツァー教授の先生。スクリャービンはクロイツァー教授と付き合いがあったようである。
そして近代フランスのラヴェルやドビュッシー、この演奏会が1932年(昭和7年)なので、たった30年前に作曲されたこの当時「最先端」の曲を並べている。やはり東京音楽学校ピアノ科教授として、最新のピアノ曲も紹介したかったのかもしれない。
筆者の感覚ではドビュッシーもラヴェルも100年前の作曲家。最近という感覚はない。この1932年(昭和7年)というのは、戦後活躍したメシアンはやっとパリ国立高等音楽院を卒業したころ。《4分33秒》のジョン・ケージは20歳。リゲティもブーレーズもまだ子供。この演奏会のころには後に有名になった曲はまだ作曲されていない。ドビュッシーやラヴェルが最先端というのはなんだか不思議な気がしている。