田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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61.規矩士ものがたり補遺1規矩士リサイタル1932年(昭和7年)11月27日 日本青年館

(2022年3月15日投稿)

このブログを公開した後に、筆者が未知の田中規矩士リサイタルがあったことがわかりました。

1932年(昭和7年)11月27日 場所は日本青年館

当日のプログラムはこれである。書き込みは元々あった。誰が書いたのかは不明。

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1.ハイドンソナタ変ホ長調。(作品番号が書いてないので、どの曲かわからない。しかしソナタアルバム2巻に載っているこれかもしれない。)

ハイドン :ソナタ 第43番 Hob.XVI:28 op.14-2 変ホ長調

2.ブラームス作曲《ヘンデルの主題による変奏曲》作品24

3.グラズノフ作曲《主題と変奏》作品72(1900)

4.aスクリャービン作曲《2つの詩曲》作品32 (1903)

4.bラヴェル作曲《亡き王女のためのパヴァーヌ》(1899)

4.cドビュッシー作曲前奏曲集第1集より《ミンストレル》(1905)

4.dショパン作曲《幻想ポロネーズ》作品61 CT156

演奏の記録の方も訂正をしておきます。

この演奏会はベルリン留学の成果を発表するものであったと思う。それがグラズノフスクリャービンであったかと推測する。ロシアものはやはりクロイツァー教授直伝であろう。グラズノフはクロイツァー教授の先生。スクリャービンはクロイツァー教授と付き合いがあったようである。

 

そして近代フランスのラヴェルドビュッシー、この演奏会が1932年(昭和7年)なので、たった30年前に作曲されたこの当時「最先端」の曲を並べている。やはり東京音楽学校ピアノ科教授として、最新のピアノ曲も紹介したかったのかもしれない。

 

筆者の感覚ではドビュッシーラヴェルも100年前の作曲家。最近という感覚はない。この1932年(昭和7年)というのは、戦後活躍したメシアンはやっとパリ国立高等音楽院を卒業したころ。《4分33秒》のジョン・ケージは20歳。リゲティブーレーズもまだ子供。この演奏会のころには後に有名になった曲はまだ作曲されていない。ドビュッシーラヴェルが最先端というのはなんだか不思議な気がしている。