田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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たなかすみこものがたり

4.たなかすみこものがたり1-1

たなかすみこものがたり 錦織麻里 主に、たなかすみこ著『虹色のひらめき...をあなたも』シンコーミュージック1984年を参考に書きました。 題名が長いので、『虹色のひらめき』と略称します。 その他の参考文献は後ほどまとめて別稿にて掲載します。 敬称略…

5.たなかすみこものがたり1-2黒澤貞次郎参考ウェブサイト

黒澤貞次郎のことを書いてあるウェブサイトを貼ります。

6.たなかすみこものがたり2-1 すみこの音楽ことはじめ

すみこは本人が語るところによると、活発な元気の良い子供であったらしい。後年エネルギッシュに活動をするすみこから察するに、確かに言葉は悪いが「オテンバムスメ」であったと思う。 オテンバ故に母からは叱られることも多かったようだ。 音楽はいつから…

7.たなかすみこものがたり2-2 田中規矩士との出会い。豊増昇と井口基成と出会う。

すみこは1923年(大正12年)この年の1月より東京音楽学校教務嘱託(今で言う非常勤講師のことだと思います)になった田中規矩士に師事。1923年(大正12年)のいつ頃から師事したのかはわからない。しかし1923年の間で、関東大震災前であることは確かである。

8.たなかすみこものがたり 3-1

すみこは1926年(大正15年)4月、17歳になる年に晴れて東京音楽学校の門をくぐることが出来た。器楽部ピアノ専攻の学生となれた。しかし東京音楽学校では憧れの「田中規矩士先生」に師事出来たのか?実はそれは現在の所わからない。

9.たなかすみこものがたり3-2 「田中先生」のベルリン便り

「田中先生」は非常に筆まめであったようだ。この「婚約期間中」に東京に残るすみこにせっせと手紙を書き送ったようである。しかし当時はまだ「男女七歳にして席を同じうせず」の時代。しかも男女交際にウルサイ東京音楽学校である。宛先はすみこ単独宛てで…

10.たなかすみこものがたり4-1 東京音楽学校のすみこ

すみこは1926年(大正15年)4月、東京音楽学校予科に入学。そして1927年(昭和2年)4月本科ピアノ専攻に入学をした。 ピアノは憧れの「田中規矩士先生」ではなく、橘糸重先生であったと言っている。(『世界中にいろおんぷ』101ページ)

11.たなかすみこものがたり4-2 すみこ新聞に載る1 兄敬一の音楽ノート

国民新聞(現在の東京新聞)昭和4年5月16日号より。(1929年) この年の8月に二十歳になるすみこ。初々しい可憐なお嬢様でありました。

12.たなかすみこものがたり4-3 すみこ新聞に載る2

1930年(昭和5)すみこはいよいよ音楽学校を卒業。 このころは東京音楽学校を卒業するというだけで、華やかに新聞に載ってしまうようです。

13.たなかすみこものがたり5-1 On Your Wedding Day~♡

すみこが音楽学校を卒業し、そしてあの憧れの「田中先生」が無事に帰国しました。 「田中先生」は1930年(昭和5年)3月2日より3月11日までフランスに滞在。3月12日から3月20日までイタリア滞在。3月21日から26日までスイスに滞在。そしてベルリンに一旦戻っ…

14.たなかすみこものがたり5-2 共立女学校の音楽教師になる。

すみこは東京音楽学校を卒業してすぐ、1930年(昭和5)4月より、母と自分の母校、横浜共立女学校の音楽教師になった。先の結婚式の様子を書き残した東京音楽学校時代の同級生片山(菊池)愛子と一緒に勤務をしたようだ。

15.たなかすみこものがたり6-1 待望のマイホーム兼スタジオを新築する。

東京音楽学校を卒業した1930年(昭和5)、周りの「ピアノを教えてください」という要請もあり、音楽教室を開室。教室名はかねてからの考えで「すみれ会」とした。すみこのすみれ。すみれはその後すみこの「アイコン」として、いろいろな所に書かれていくこと…

16.たなかすみこものがたり6-2 絶対音感の話。すみこ最初の出版の話。

さて、すみこが東京音楽学校を卒業した頃、音楽教育の現場では「絶対音感」が流行っていた。 1903(明治36)年に生まれた園田清秀というピアニストがいた。彼は大分の出身だったが、音楽に目覚めて「音楽家になる!」と決心したのは中学生のころ。そして東京…

17.たなかすみこものがたり6-3 戦争中の話

さて、時局はだんだん怪しくなってくる。1941(昭和16)年12月太平洋戦争開戦。規矩士が勤務する東京音楽学校でもだんだん授業が出来なくなってくる。そして地方から東京音楽学校に入学する生徒たちの住居にも困難が生じるようになってくる。規矩士すみこ夫…

18.たなかすみこものがたり7-1 戦後のすみれ会。GHQ関係者の生徒。すみこの2番目の出版。

破壊し尽くしたあの悲惨な戦争が終わった。世の中が少し明るさを取り戻したようだ。 すみこの実家、そして長兄の家は戦災に遭ってしまった。しかしすみこの自宅は無事であった。 すみこ自慢の銀座の父の店はなんとか無事だったようだ。しかし進駐軍に接収さ…

19.たなかすみこものがたり7-2 いろおんぷことはじめ1 姫野翠さんとスクラップ帳

たなかすみこと言えば「いろおんぷ」が有名である。 しかしたなかすみこがいつ「いろおんぷ」を開発したのかというのが、本人が書いた資料に食い違いが多く、はっきりしない。

20.たなかすみこものがたり7-3 いろおんぷことはじめ2 いろおんぷ発表

さて、げんこ弾きの評判は今一つであったようだ。子供は思い切り加減をしないで叩くので「げんこの手が痛い」という声が多く聞かれた。 すみこは『おさなごのげんこびき続編』を考えたようだが、結局出版は諦めたようだ。

21.たなかすみこものがたり8 昭和30年。そして全国いろおんぷ協和会へ。

1955年(昭和30)すみこに悲劇が襲う。あの憧れの「田中先生」。すみこが一目ぼれをして恋を成就させた夫、規矩士が胃がんで8月にこの世を去ってしまった。

22.たなかすみこものがたり9 ヤマハ実験教室の話

さて話は少し前後する。 2021年6月以下の本が出版された。『ピアノの日本史』田中智晃著 この本に「たなかすみこいろおんぷ」の話があったのでざっとご紹介をする。(勘違いをしていたらすみません)

23.たなかすみこものがたり10 出版社との出会い

1953(昭和28)年に発表された「いろおんぷ」 この本は多分日本で初めて日本人が作った日本人のための「ピアノ初心者教材」であろう。