1953(昭和28)年に発表された「いろおんぷ」
この本は多分日本で初めて日本人が作った日本人のための「ピアノ初心者教材」であろう。
当初引き受けてくれる出版社がなく結局自費出版ということになったが、好評を持って迎えられたこともあり、1955(昭和30)年、新興楽譜出版社(現在のシンコーミュージック)と繋がることに成功。
3月に『やさしいおんぷのかきかたならいかた』を出版。
そして『こどものすきなおんがくしゅう1』『こどものすきなおんがくしゅう2』も出版。
順調に新刊本の出版が始まった。
いろおんぷの「実用新案」も取得出来た。
そして満を持して1957(昭和32)年6月10日、『いろおんぷ第一集』が晴れて音楽之友社より出版された。(『いろおんぷ1集』とも)
音楽之友社版初版第一刷は見当たらず。初版第二刷だと思います。
この本は改訂されながら現在まで出版が続いている。
『いろおんぷ1集』と一緒に『おるがん・いろおんぷ・れっすんのすすめかた』の『1のほん』も同時に音楽之友社より出版された。『2のほん』が同じ1957(昭和32)年9月10日出版。『3のほん』が1958(昭和33)年4月10日出版。
動く表紙が面白い。この本は時期的にヤマハ実験教室で使用するために出版されたのかもしれない?
『2のほん』は比田井和子という方が曲を提供している。この方はブログに「すみれ教室」に行っていろおんぷをやったことを書いている。
https://www.shodo.co.jp/blog/hidai2010/2010/03/3.html
比田井和子氏がまだ子供だった時に、曲を提供したようである。「ぶるるんるん」とか「ちゃっぽんぽん」とかのオノマトペが楽しい。
いろおんぷ2集は1959(昭和34)年2月25日、こちらも音楽之友社より出版された。(旧宅に音楽之友社版の初版本が見当たらず)
しかしこの当時まだ学校の現場にはオルガンの数が足りなかった。そこで同じ鍵盤楽器ということで、木琴も多く使われたようである。オルガンより木琴の方が安価であったので、とりあえず木琴を購入ということになったのかもしれない。そこで木琴用の「いろおんぷ」
楽器メーカーと共に楽譜と楽器を一緒に販売。
『いろもっきんのならいかた』1958(昭和33)年、新興楽譜出版社
そして1956(昭和31)年『ようちえんのいろおんぷ』、同じ年に『いろおんぷばいえる上巻』(新興楽譜出版社)、1959(昭和34)年『いろおんぷばいえる下巻』、同じ年に『おはしびき』(新興楽譜出版社)、1962(昭和37)年『TANAKA20番』(音楽之友社)そしてあの幼馴染みでもある豊増昇ととも『上手になれるハノン』『上手になれるブルグミュラー』『上手になれるツェルニー』を出版など、
すみこの出版事業、音楽教室事業は大成功を収めるのであった。
『いろおんぷばいえる』下巻(上巻の初版が見当たらない)
おはしびきはこれです。げんこ弾きの代わりに考案。こちらは手が痛くなりません。
そして昭和35年4月29日文部省検定、昭和37年12月20日印刷、昭和37年12月25日発行の音楽之友社発行の『総合しょうがくせいのおんがく1』『総合しょうがくせいのおんがく2』にいろおんぷが採用されたのであった。
これらの功績で1966年(昭和41年)都知事賞受賞、1969年(昭和44年)藍綬褒章授与。そして発明協会と発明の寄与によって1983年(昭和58年)瑞宝章授与という名誉をいただくのであった。
藍綬褒章と瑞宝章をつけて。この青いドレスもお気に入りであった。
その後も出版と発明は続く。すみこは丈夫で80歳代になってもパワフルに動いていた。1989年(多分)終活を考えたすみこは思い出の規矩士のピアノを新装なって上野公園に移築された旧東京音楽学校奏楽堂に寄贈。現在は楽屋にあるそうです。
しかしやはり年齢には勝てなかった。2000年(平成12年)91歳で引退。
2000年の発表会にて。2台ピアノでランゲ作曲山口勝敏編曲《花のうた》を演奏。山口勝敏と。このステージがすみこ最後のステージとなった。
1934(昭和9)年に建てた思い出深いあの家の、思い入れがたっぷりある、あの「きくの間」でゆっくり余生を送った。
(ピアノを弾くすみこ。良いお顔だと思います(*^-^*)
2007年(平成19年)11月24日没。享年98歳であった。