田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

まずは右側サイドバー(スマホタブレットはスクロール)の「はじめに」からお読みください。情報が順次更新されていますので、「更新記録」も読んでいただけますようお願い申し上げます。

1.ごあいさつ

Facebookでも情報公開しています。

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「田中規矩士・田中すみこ夫妻をめぐる人々」というコーナーが出来ました。第1号は武蔵野音楽大学名誉教授奥田操様が語る「恩師田中規矩士先生の思い出」です。以下のサイトにリンクが貼ってあります。どうぞお読みいただけたらと思います。(2024年6月19日更新)

第2号は、45年にわたるたなかすみこのアシスタント先生だった角田光様が語る「たなかすみこ先生の思い出」です。(2024年7月16日更新)

第3号は、48年にわたるたなかすみこのアシスタント先生だった錦織さゆ里(にしきさゆり)が語る「私の音楽人生とたなかすみこ先生の思い出」です。(2024年8月14日更新)

第4号は規矩士の師、ウィリー・バルダス教授の話。

第5号はすみこの長兄、黒澤敬一の話。彼は日本古楽界初期の貢献者。そして1956年(昭和31年)イギリスを代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンが来日した時にアテンドをして、その時のブリテンの日本滞在が「カーリュー・リバー」という作品に結実しました。(2024年9月4日)

第6号はすみこが主宰した「全国いろおんぷ協和会」会員だった村上ゆきの話。(2024年11月6日)

tanakairoonpu.hatenablog.jp

旧田中邸の窓を使った作品を制作された鈴木のぞみ様が、公益財団法人 窓研究所のウェブサイトにコラムを書かれました。このコラムには鈴木様の「窓を使った作品の制作のヒミツ」が書かれています。旧田中邸の窓もこのようにして制作されたのですね。コラムで取り上げていらっしゃる作品は旧田中邸の窓ではありませんが、ご紹介します。(2024年4月26日更新)

madoken.jp

鈴木のぞみ様の「窓を使った作品」の一つである、《Other Days, Other Eyes:田中邸2階寝室の窓》が箱根のポーラ美術館にて12月1日まで展示されます。お出かけください。(2024年6月16日更新)

tanakairoonpu.hatenablog.jp

ポーラ美術館にての展覧会の模様レポート。(2024年11月22日投稿)

(やっと行けました)

tanakairoonpu.hatenablog.jp

田中規矩士が1928年から1930年まで文部省在外研究員としてドイツ国ベルリンに留学した時、婚約者たなかすみこ(旧姓黒澤すみ)とその家族、黒澤家に宛てた手紙が旧宅に残されていました。その手紙を翻刻して公開します。下記の記事の中にリンクが貼ってあります。(2023年9月15日更新)

tanakairoonpu.hatenablog.jp

田中規矩士の兄、田中敬一氏のことを投稿しました。田中敬一氏は指揮者朝比奈隆に音楽を教えた先生かもしれません。(2023年5月9日更新 2023年6月11日追記)

tanakairoonpu.hatenablog.jp

田中規矩士の弟の日記が発見されました。ご遺族様の了承が得られましたので、全文公開しています。下の記事の中に田中三郎の日記のリンクが貼ってあります。(2023年3月11日更新)

tanakairoonpu.hatenablog.jp

この日記から得られた情報によって、ウェブサイトが更新されています。更新記録をご確認ください。(2023年3月28日更新)

田中三郎の日記は神奈川県横浜市にある「横浜開港資料館」に寄贈されました。お引き受けいただいた横浜開港資料館に御礼を申し上げます。(2024年8月20日更新)

tanakakeiichisaburou.hatenablog.com

 

2022年10月30日のコンサートの動画を配信します。以下をクリックしてお入りください。記事内にYouTubeのリンクが貼ってあります。

tanakairoonpu.hatenablog.jp

tanakairoonpu.hatenablog.jp

 

【ごあいさつ】

このウェブサイトは元東京音楽学校ピアノ科教授田中規矩士と、妻で音楽教育家であったたなかすみこの記憶のために開設しました。

 

田中規矩士は1897年(明治30年)神奈川県横浜市に生まれ、1955年(昭和30年)東京都にて亡くなりました。

1923年(大正12年)1月から1946年(昭和21年)9月まで東京音楽学校に奉職。その後お茶の水女子大学武蔵野音楽大学フェリス女学院短期大学で教鞭を取りました。

1928年(昭和3年)から1930年(昭和5年)まで、文部省在外研究員としてドイツ国ベルリンに留学。彼の地でベルリン高等音楽院教授のレオニード・クロイツァーに師事しました。

田中規矩士の門下からはたくさんの優秀な方が出て、戦前戦後の日本の音楽界の礎となりました。

 

妻、たなかすみこ(本名田中すみ。旧姓黒澤)は1909年(明治42年)東京都に生まれ、2007年(平成19年)東京都で亡くなりました。

音楽教育家として知られ、「いろおんぷ」指導法で一世を風靡しました。

執筆した教本、関係している教本は現在のところ58冊が確認出来ています。その他子どもの音楽教習具も多く開発、発明をしました。「いろおんぷ」は1960年(昭和35)検定の音楽之友社発行の小学校教科書1学年、2学年にも採用されました。

 

田中規矩士が大きな活躍をしたのは、東京音楽学校教務嘱託となった1923年(大正12年)、そして1930年(昭和5年東京音楽学校教授。1946年(昭和21年)に東京音楽学校退職後、お茶の水女子大学武蔵野音楽大学フェリス女学院短期大学で教鞭を取り、亡くなる1955年(昭和30年)まで。2022年現在、既に67年が経過してしまいました。現在田中規矩士の門下生は、ほとんどが亡くなっているようです。現在お元気な門下生は管理人が把握している限りにおいて、いらっしゃらないようです。

ここの部分を訂正します。本当に数少ないですがいらっしゃるようです。(2024年6月20日訂正)

妻、たなかすみこが大活躍をしたのは、その少し後、1955年(昭和30年)ごろから1998年(平成10年)ごろまで。高齢故に2000年(平成12年)に引退をしてしまったので、こちらも既に22年が経過してしまいました。

たなかすみこの黄金期を一緒に過ごしたアシスタントも現在元気な人は数えるばかりとなりました。

 

2020年8月、田中規矩士、たなかすみこ邸が取り壊されることになり、残されていた遺品を整理することになりました。その整理に遺族、そして数少なくなってしまった元アシスタント、元生徒が集合しました。

田中規矩士、たなかすみこのことはどんどん忘れ去られていくばかり。ここに「記録を残そう」ということになり、「管理人がブログ形式」という形での発表となりました。

何故ブログ形式にしたかというと、かなり古い話が多く、検証しきれていないのです。資料の散逸も多く、わからなくなっているものが非常に多い。これからこのウェブサイトを通して確認作業が必要と考えたからです。これがウェブサイト名に「β版」とつけた理由です。

管理人は音楽学の専門家でもなく、論文すら書いたことはない。文章、引用その他間違いも多いと思います。ご容赦ください。

そして、検証しきれていない情報も多いので、もしこのウェブサイトを使って論文を書く場合は、念のため検証をすることをお薦めします。その際、こちらに連絡をいただけると幸いです。

そしてこれはまだ完成品ではありません。今後も書き続けていく予定です。どうぞごゆっくりお読みいただけますよう、よろしくお願いいたします。

 

ウェブサイト発表後に訂正されたもの、新たに確認が取れたもの、新しい情報はカテゴリーの「更新記録」にも残していきます。「更新記録」も参照してください。

お名前は全て敬称略とさせていただきます。ご了承ください。

なお、このウェブサイトのコメントは閉鎖しています。お問い合わせは右側サイドバー(スマートホン又はタブレット端末はスクロールした一番下)のサイト情報の「お問い合わせフォーム」よりお願いいたします。

日付は体裁を整えるために、いろいろと移動をしています。消せるらしいのですが、よくわからなかったのでそのままです。無視してください。

   管理人いろおんぷのまり

 

田中規矩士

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たなかすみこ

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結婚写真。1930年(昭和5年)10月10日。場所不明。

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管理人プロフィール(中の人)

ハンドルネーム:いろおんぷのまり

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3歳よりたなかすみこにピアノを師事。いろおんぷにてピアノを始める。

東京都立芸術高等学校音楽科卒。桐朋学園大学音楽学部卒業。同研究科修了。

現在は音楽教室講師。幼児初心者の指導メソッドは「たなかすみこいろおんぷ」

ピアノ以外にチェンバロフォルテピアノを弾きます。古楽系合唱団でも歌っています。

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