すみこは1926年(大正15年)4月、東京音楽学校予科に入学。そして1927年(昭和2年)4月本科ピアノ専攻に入学をした。
ピアノは憧れの「田中規矩士先生」ではなく、橘糸重先生であったと言っている。(『世界中にいろおんぷ』101ページ)
1928年(昭和3年)7月1日学友会春季演奏会に出演。ベートーヴェンのピアノソナタ作品90(27番)第1楽章を演奏。(『東京芸術大学百年史演奏編第二巻』(1993)に掲載。)
複数の方の話によると本科の学生は外国人教師にも師事出来たらしく、すみこはレオニード・コハンスキ教授に師事したそうである。
音楽学校には「全校合唱」という授業があり、ピアノ科の生徒もこの授業を受けたようである。
1928年(昭和3年)12月12日、東京音楽学校では昭和時代の皇后陛下、香淳皇后をお迎えして、「昭和天皇の即位の祝賀演奏会」を挙行。
「大禮奉祝演奏会」
曲目は《大禮奉祝合唱曲》とベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》
指揮は当時の音楽学校の外国人教師のチャーレス・ラウトロプ
この合唱に参加したようだ。ラウトロプ先生の指揮は同級生たちに強烈な印象を植え付けたようだ。それはきっとすみこも同じであっただろう。
すみこは「皇后陛下の前で御前演奏をした。皇后陛下を見たのよ」と複数の人に語っている。(筆者も聞いたことがある)この演奏会のことかもしれない。
御前演奏とはどのようなものだったのか?
校長が乗杉校長になってから、よく皇族が来るようになったそうである。
「皇族がいらした時の様子」を1934(昭和9)年に本科ピアノ科を卒業された吉田みさを氏が書いている。
「職員生徒一同が門の両側に並んでお出迎えをしましたが、お通りの自動車の玉砂利を見るだけの最敬礼ですからお顔は見られません。しかし、私達はコーラスガールです。ステージに立てば真正面からジロジロ見られます。皇太后陛下(この時はそうだったみたいです)黒のロングドレスに黒の帽子。大勢の女官も皆ロングスカートでした。」
「お化粧が濃いのに驚きました。全くの白塗りです。歌舞伎の女形のお化粧。遠く離れているのに頬紅も口紅も真っ赤」
当時はそんな服装、お化粧はしないので驚いたようだ。
(『東京芸術大学百年史東京音楽学校編第2巻』1525ページ)
戦前の日本で皇后陛下を生で見るチャンスというのはほぼないので、すみこにとって強い印象を与えたと思う。
1929年(昭和4年)7月1日。日本青年館にて特別演奏会。曲目はシューマン作曲の《楽園とペーリー》。指揮はチャーレス・ラウトロプ。多分合唱で参加。旧宅にも何も残されていないし、特に話も伝わっていない。
同じ1929年(昭和4年)11月30日。日比谷公会堂にて「東京音楽学校創立五拾周年記念祝賀」というお祝いの演奏会があった。
この合唱にも参加したと思われる。この年は2回大きな演奏会があったと『東京芸術大学百年史』に記録されている。
すみこの旧宅にこの演奏会のプログラムがあった。演目はヘンデルの「ユダス・マカベウス」
この曲は「見よ、勇者は帰る」が有名である。
この「見よ、勇者は帰る」は後にすみこの著書「いろおんぷ」に採用されて「いろおんぷのうた」になった。