国民新聞(現在の東京新聞)昭和4年5月16日号より。(1929年)
この年の8月に二十歳になるすみこ。初々しい可憐なお嬢様でありました。
(記事が読みにくいという話があったので、打ち直します)
初夏なれば、うっそうたる青葉を透かして射す日光にもすがすがしい感触がある。若しそれ頬をなぶる微風にのって、そこはかとえも言えぬ花の香りを伝え来れば、更に初夏の風情を増すというもの。その花の香を尋ねて、はからずも目にした一輪のサイネリヤ。その清楚にしてゆかしい気品あるこの令嬢は、市外蒲田町御園、黒澤貞次郎氏の愛嬢すみ子さん(20)。上野音楽学校の本科3年ピアノ科に在学中で、ピアノに堪能なるは云うも愚か、一家揃って音楽に趣味深く、時折は家内中で合奏されることもあるという。(仮名遣いは現代仮名遣いに改めました)
「一家揃って音楽に趣味深く、時折は家内中で合奏されることもあるという」
音楽好きな母、長兄。母はオルガンを弾き、長兄はチェロを弾きました。家には大塚淳氏などが出入り。やはり音楽にあふれたハイカラな家であったと推測されます。
長兄敬一がチェロを弾き、すみこがピアノを弾くことも多かったかと思います。
すみこの学生時代のものと思われる「指ドリル帖」がある。表紙はセロハン紙でカバーがついていて、その上にSumiと書いてある。
五線紙に長兄「黒澤敬一」と書いてある音楽ノートです。兄が自分用に作った五線紙ではないか?と推測します。その五線紙にすみこが「指ドリル」を書き込んだようです。この当時はコピー機なんてありませんから、「これは!」と思ったもの、先生がお薦めしたものはせっせと写譜します。
中身は、「ミドレドレドファレミレミレソミファミファミ」などなど。
1927年(昭和2年)の日付と、「Practise in all keys」つまりすべての調性で練習とか書いてある。
「音楽が硬いのは、テクニックが十分でないからで、それは勉強によってのみ(?)自由な音になる」
「垢ぬけしない(?)硬いというのは(?)一にも二にも勉強。」
などなど。いろいろと書き込みがある。「練習!練習!練習!」
中身はハノンピアノ教則本からの借用が多いかと思うが、違うものも見受けられる。
これはハノンピアノ教則本ではなく、何か違う本から写したと思われる。
この音型は後にすみこの著書『美しいタッチ練習ハノン』に掲載された。
このような自分専用五線紙を作ってしまうほど音楽好きな長兄敬一、その妹であるすみこ。家の中ではやはり「音楽の話」で盛り上がったことと思う。
(しかしこの当時、敬一はイギリス留学中であったが)