田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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12.たなかすみこものがたり4-3 すみこ新聞に載る2

1930年(昭和5)すみこはいよいよ音楽学校を卒業。

このころは東京音楽学校を卒業するというだけで、華やかに新聞に載ってしまうようです。

 

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(記事を打ち直します)

春風駘蕩、上野の森に桜咲くころ、巣立つ今年度の花形。華やかな人気を夢見て楽壇に新しい希望をもたらす新人の群れ。

まず声楽の方では、アルトの両大関として丹治はる(22)さんと、菊池愛子(23)さんがあげられる。丹治さんは純粋なアルト歌手として華やかな未来が約束されている人。断髪まがいにして、正直一点張り。粗削りだが、江戸前の気質が人に好かれる。とにかく、卒業生中一番のモガさんで、生粋の1930年型。丹治さんに対抗している菊池さんの方はややメゾソプラノかかった声で、慎重な歌い方をする人。すべてに巧みで人をそらさない。先生達からは殊の外信用も厚いという。

アルトのこのご両人に対してソプラノの細谷澄子(21)さん、大藪きみ子(22)さん、矢野きよ子(22)さんの3人が挙げられる。

細谷さんは勉強家で、真面目で、お父さんは医学博士。堅実一方の芸風。大藪さんは例の関種子さんと同じに第二高女の出身で秀才。きわめて頭が良いという。矢野さんは跡見の出身。やわらかい声の人。足が悪くて松葉杖をついて毎日登校とはお気の毒なこと。声楽の方はまずこの位にして。

ピアノの方ではまず黒澤すみ子(22)さん。銀座の黒澤タイプライター店のお嬢さん。卒業したら早々にピアニスト田中規矩士氏と結婚するという。田中氏は今、海の彼方ドイツに留学中。遠い異郷の空を思っているすみ子さんの胸はきっと喜びにあふれているだろう。

黒澤さんと並んで野村静子(21)さんもピアノ科の秀才。お茶の水の出身でおとなしい利口な人。芸は細かく、ドイツ語が極めてお上手。この人も卒業早々におめでたがあるという。野村さんの優しい姿には、お隣の美術学校の生徒があこがれたという話もあるほど。

野村さんに更にはくをつけたようなのは、可愛らしい平戸きよ子(21)さん。とてもあまったれさんだが、芸術の方は異なり、難曲中の難曲、ベートーヴェンの32のヴァリエーションをわけなく弾きこなすという将来有望な人。

検事のお嬢さんの赤羽田鶴子(21)さんもピアノ科の秀才。

純然たる断髪、楽劇「墜ちた天使」でおばけとして大いに名をあげた四家文子嬢の大の仲良し、平戸ふみ子(21)さん、二年続けて生徒総代をして、大いに人望がある東いわ子(21)さん、卒業早々左翼の某文士と結婚するという濱その子(21)さん、その他、田村寛貞氏の姪の菅原田鶴子(21)さん等、ピアノ科は多士済々である。

男の方での有望な新人はテノールの園田誠一君と、ピアノの井口基成君。井口君は卒業後直ちにドイツに勉強に行くはずである。

(写真は、上段の左から右へ丹治はる子嬢、細谷すみ子嬢、大藪きみ子嬢、矢野きよ子嬢、平戸ふみ子嬢、黒澤すみ子嬢、濱その子嬢、菅原田鶴子嬢、東いわ子嬢、野村静子嬢、平戸きよ子嬢、井口基成君、園田誠一君)

(現代仮名遣いに改めました)

余談ですが、井口基成氏はドイツではなくて、フランスに留学したそうです。

 

そして晴れて卒業。

婦人毎日新聞昭和5年(1930)3月14日号

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(記事を打ち直します)

桜の春・上野の杜から楽壇へ巣立つ女性

晴れのステージに走る華やかな夢に。若く美しき楽鳥の胸は時めく。

爛漫の桜の春に先駆けて、上野の杜を巣立ちゆく華やかな楽壇の新人の群れ。

1930年度の楽壇にさらに新しい希望と光彩を添ゆる音楽学校本科卒業生は

声楽

菊池愛子さん、丹治晴子さん、大藪きみ子さん、棟方富美代さん、細谷すみ子さん、矢野清子さん

ピアノ

水戸ふみ子さん(平戸の間違いか?)、赤羽田鶴子さん、平戸きよ子さん、長谷川さく子さん、東いさ子さん、黒澤すみ子さん、菅原田鶴子さん、濱その子さん、野村静子さん(順不同)の15名。

いずれもそのたぐいまれな天分に生来を嘱目されている秀才揃いだが、22日の卒業式も残すところ数日。夢多い乙女のことには楽壇の花形という幾年憧れたその夢を戴く手に、近く卒業前の今日この頃彼女らはどんなに感慨に満ちた明け暮れを送っていることか。

 

卒業演奏に朗らかな首途

(現代では前途と言いますが、91年前には首途と言ったのだろうか?)

 

憧れの未来を望んで高く......飛べよ、楽鳥

選ばれて栄えある卒業演奏にリードのフォーレの「夢の後に」とチャイコフスキーのリードを歌うメッツォソプラノの菊池愛子嬢(22)は華やかな中にも落ち着いた感じの人。そのさかんな研究心に

「大きな未来を約束されている」

愛子さんは語る。

「自分ではよくわからないけど、アリアかリードか。やはりどちらかと言えばリードですね。誰のものが特に好きということはありません。皆好きなんだけれど、シューマンのものなんかやっぱりぴったりと感じますわ。私にはまだまだ自分というものがよくわからないんですもの。これからどういうものへ進んで行ったらいいのか?え?結婚?そんなことまだ考えていませんわ」

 大藪きみ子さん(21)は見るからに颯爽とした若々しい、モダンタイプの人。だがしかも「映画は大嫌い」という真面目さ。

やはりソプラノでお好みはアリア。

「私は可愛らしい明るい抒情調のものが好きですの。何でも好きは好きなようですけども、ルチアなんか大好きなものの一つですわ。将来の方針?当分自分で、一生懸命勉強を続けていきたいと思っていますの」

真面目で勉強家で、白百合のように清楚なソプラノの秀才、

細谷すみ子さん

「私の趣味ったらあり過ぎて仕様がないんですの。どうも少し気が多すぎやしないかと思うんですけど、これからはリード方面を勉強して行きたいと思います。今まではクラシックなものばかりやっていましたから、今後は近代のものをやるつもりです。好きなのはドビュッシー。卒業してすぐ結婚なさる方もあるようですが、私達は。でも.....。やっぱりやれるところまでやって行きたいと思いますわ」

 

ピアノの方ではショパンがたまらなく好きで、また非常にお得意な菅原田鶴子さん、あまったれやさんで、誰にでも可愛がられる可憐な平戸きよ子さんなどいずれもはっきりと「自分の道を見極めて」一筋に芸術につき進んで行こうとする所に、1930年の新人のたのもしい熱意が感じられる。

尚、栄えある卒業演奏に選ばれた人は、菊池さんの他に、アルトの丹治晴子さん。曲目はグルッグの「アルテェステ」、ピアノでは平戸きよ子さん、曲目はショパンのバッド(バラードの間違い?)平戸ふみ子さんのリストのコンサートエチュードと決定された。

送別の集い

昨日の春雨に惜しむ名残り。

音楽学校では昨日13日午前9時より、今年度卒業生の送別会を行った。校長訓話、卒業生答辞にはじまり、正午より講堂にてご馳走があって、その後余興にうつり、バレエ、落語、ジャズ、手品、オラトリオなどのかくし芸に玄人はだしの腕前を競って、午後4時春雨をそそぐ中を楽しくも名残惜しい会を閉じた。

(現代仮名遣いに改めました)

この当時、歌曲のことを「リード」と言ったのかもしれない。他資料にも歌曲の意味で「リード」と書いてあるのを見かけた。

リードはドイツ語で言うLiedのことか?ドイツの芸術歌曲のことをLiedと言うが、これはリードとは読まなくてリートと読む。そしてドイツ語の芸術歌曲を示すと思うのだか?フォーレドビュッシーはフランス語の芸術歌曲なので、「Mélodie」(メロディ)と言うはずだか?

 

ドビュッシーは1918年に亡くなったので、1930年からたった12年前。21世紀の現在からは遠い昔の作曲家だが、このころは「つい先ごろ亡くなった作曲家」であったのかと思うと驚きである。

東京音楽学校時代の写真。正式な制服を着て。このころの制服は袴であったようである。この格好で正式な演奏会に出演するのだそうです。

卒業集合写真より。すみこの所を拡大。前列右から2人目。

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これは戦後、そしてコピー機が一般的になった昭和の終わりか平成時代に誰かにコピーをしてもらったもののようだ。すみこの実家は戦災に遭っているそうなので、すみこのものは焼失したかもしれない。