すみこが音楽学校を卒業し、そしてあの憧れの「田中先生」が無事に帰国しました。
「田中先生」は1930年(昭和5年)3月2日より3月11日までフランスに滞在。3月12日から3月20日までイタリア滞在。3月21日から26日までスイスに滞在。そしてベルリンに一旦戻った。
4月16日、長かったようで短かったベルリン滞在を終えて、いよいよ帰国の途に。
ロンドン、大西洋を渡ってアメリカ横断をして太平洋を渡って、ほぼ世界一周して帰国。
記録では5月31日帰国とある。そして田中先生は6月25日東京音楽学校ピアノ科教授となった。
すみこはかねてより婚約をしていた「田中先生」と1930年(昭和5年)10月10日に結婚式を挙げた。式を挙げた場所は不明。新婚旅行などに出かけたかも不明。伝わっていない。
結婚式写真。振袖は総柄。素晴らしいものと思います。
前列左より、すみこ父黒澤貞次郎、すみこ母黒澤きく、媒酌人夫人乗杉嘉壽夫人?すみこ、規矩士、東京音楽学校校長乗杉嘉壽、規矩士母田中ゑい、規矩士弟田中三郎。
後列左から3番目はすみこ長兄黒澤敬一?
規矩士兄田中敬一は1926年(大正15年)に亡くなったので、出席は不可能である。規矩士父田中敬義は、この結婚式の一ヶ月後に亡くなったようである。それらしい高齢の男性が写真に見当たらないので、高齢故に何かの病気で出席が出来なかったのかもしれない。
親族によれば入籍は1931年(昭和6年)らしい。(戸籍と式の日にちがかなりずれるのは昔も今も珍しい話ではないと思います。筆者が若い頃は入籍(婚姻届)、結婚式、同居などを少ない日にちでいっぺんにやったものですが、今はゆっくり日にちをとって準備をするのが一般的なんですね。昭和の初めごろも他資料でかなりずれているのを見かけるので、そんなに珍しい話でもなかったようです)
東京音楽学校の同級生、片山(旧姓菊池)愛子がこの結婚式の様子を書き残している。
「お式は10月の10日でございました。私、その日お手伝いという言う事にして、花嫁姿を拝見しに参りました。御髪は西洋髪でございました。鼈甲のピン、白い花のかんざしがいい恰好で、本当によく似合っていらっしゃいました。(中略)私、あのお美しいお姿にすっかり感心してしまいまして、その晩は床の中へ入ってからもチラチラと見えてきて、寝られませんでした。」
新居は大森であったようです。大森の新居と伝わる写真。