田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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103.【田中規矩士・たなかすみこをめぐる人々】2 角田光「ピアノとともに―たなかすみこ先生との45年」4 「にしきさゆりとの出会い。ピアノ姉妹として」「全国いろおんぷ協和会での楽しい日々」

(2024年7月16日投稿)

にしきさゆりとの日々。楽しかったいろおんぷ協和会の日々。(ピアノ姉妹として62年!)

角田「私が船山さんが会費を払ってしまって全国いろおんぷ協和会に入会したのが1957年(昭和32年)。その後大学に入りなおして勉強をしたから、協和会での活動は出来なかった。会員番号は155番よ。」

にしき「私は昭和32年に大学を卒業して、小学校の音楽の先生になった。しばらくすみこ先生とは疎遠だったけど、学校の先生を辞めることになってすみこ先生に相談したらヘッドハンティングされたの。それで昭和34年に全国いろおんぷ協和会に入会。だから会員番号は172番。私が入会してすみれ教室の先生になったころは、角田先生はいなかったわ。」

角田「1962年(昭和37年)に大学を卒業して、すぐにいろおんぷの先生になった。それからずっとにしき先生と一緒よ。」

にしき「一緒に豊増昇先生のマスタークラスを受講したよねえ。ベートーヴェンソナタ18番よ。(Op.31-3)二人で弾き分けたのよね。角田先生が1,2楽章。私が3,4楽章よ。」

(注13:豊増昇(1912-1975)元東京音楽学校ピアノ科教授。戦後は武庫川女子大学音楽部長などを歴任。戦後はピアニストとしても活躍。日本芸術院会員。指揮者小澤征爾のピアノの師でもあった。田中規矩士の門下生。たなかすみことも親しく、「全国いろおんぷ協和会」の音楽顧問として、多くのマスタークラスを受け持っていたようだ。)

角田「ベートーヴェンの協奏曲!」

にしき「そうそう。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番よ。(Op.15)私がソロを弾いて、角田先生がオーケストラ部分を弾いてくださったの。曲を決めたのはすみこ先生よ。」

にしき「一緒に『クラマービューロー練習曲』の競争をしたよね。」

 

麻里「お二人とも『講習会形式』の講師も多くしていますよね。わかっているだけでにしき先生5回、角田先生は4回だと思います。」

(注14:講習会形式とは、協和会の合同発表会「いろおんぷ全国大会」などで行われていた「いろおんぷ指導法を紹介するステージ。実際はこんな感じだった。」

【田中邸に響く音 第2ステージ|にしきさゆり たなかすみこいろおんぷを語る】

www.youtube.com

角田「協和会の演奏会で、私はドビュッシーの《雨の庭》とかリストの《森のささやき》とか弾いたんだわ。すみこ先生の方針で、会員の演奏会も多かったわよね。」

にしき「角田先生の凄いのは、80歳くらいまできちんとレッスンに行っていたこと。」

角田「だって勉強はきちんとしなくちゃね。」

 

にしき「一緒にドレスも作ったよねえ。すみこ先生が私たちのシンボルカラーを決めてくださって、私は『ファの君』でオレンジ、角田先生は『ミの君』で緑よ。荻窪のポエットさんとかで作ったよねえ。」

にしき「神田の楽器店教室で一緒だったわよね。終わってから一緒にうどんを食べたり、お茶したり。協和会コーラス!旅行!クリスマス!新年会!」

麻里「『協和会のお誘い』というパンフレットに『あふれるほどのお楽しみ』って書いてありましたよ。」

角田・にしき「そうそう!すみこ先生の所は『あふれるほどのお楽しみ』だったの。だから毎週行ってた。(笑)」

角田「私にとって『協和会での日々』は人生で一番輝いていた時なのよ。協和会本部(すみれ教室)の講師も長いことしていた。ピアノを弾きながらあちこちの音楽教室でピアノやいろおんぷを教える日々。素晴らしかったわ。」

麻里「お二人一緒に自宅教室の発表会を合同でしたこともありましたよね。」

角田・にしき「そうそう。そんなこともあったわよねえ。」

麻里「にしき会(錦織さゆ里の教室)の講師演奏会にも一緒に出演。モーツァルトを弾きましたよね」

角田・にしき「そうそう。楽しかったわねえ。」

角田・にしき「そういえば成城学園で中華料理食べたねえ。美味しかった!田園調布の神戸屋も!(笑)」

お二人の思い出がつきません。いつまでもいつまでも楽しそうに話をしていました。

(続く)