田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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28.田中規矩士ものがたり1-2 たなかすみことの出会い 作曲活動の話

この1923(大正12)年のどこかで、後の妻、たなかすみこ、(旧姓黒澤すみ)が規矩士に入門しているようだ。

この1923(大正12)年は関東大震災の年。規矩士は関東大震災で被災してしまい、たなかすみこの家に避難をするそうなので、(この箇所を取り消します。2023年4月9日記)この1月から8月までの間に規矩士の元にすみこが入門したのでは?と思う。同じ年に豊増昇(1912‐1975)も佐賀県から東京(横浜かもしれない)に上京している。(小澤征爾 小澤幹雄著 『ピアノの巨人 豊増昇』より)「田中規矩士の所に通い出したら、豊増昇が既にいた」とすみこは語っている。

 

つまり推測であるが、1923(大正12)年豊増昇、佐賀から上京。田中規矩士に入門?その後たなかすみこ(旧姓黒澤すみ)田中規矩士に入門?そして関東大震災である。

規矩士は神田にあった東京音楽学校の分教場にも教えに行っていたようで、そこで井口基成が門下生となったようだ。

井口基成は田中規矩士の弟の日記「田中三郎の日記」によれば1924年大正13年)2月に入門を願い出て田中家に現れたようである。

tanakakeiichisaburou.hatenablog.com

(2024年3月23日訂正)

1923(大正12)年9月。横浜市西区に住んでいた規矩士は関東大震災被災。焼け出されたと伝えられている。その時に子供時代の写真なども全て灰になってしまったと伝えられている。

焼け出された規矩士は弟子のたなかすみこ(旧姓黒澤すみ)の実家に避難したと伝えられている。一時期すみこの父の工場社宅に住んでいて、すみこが入り浸っていたという話が伝わっている。その後、府下大井町鎧塚4879番地に落ち着いたようだ。

この投稿を訂正します。

現在公開中の田中規矩士の弟、田中三郎氏の日記によれば、横浜の家を焼け出された田中家は、伝手を頼って東京府荏原郡大井町庚塚に移住したようである。規矩士も家族とともに同行したようです。蒲田にあった黒澤家に住んだことはないようである。

tanakakeiichisaburou.hatenablog.com

 

伝承されていく過程で何か違う情報が紛れ込んだようです。

しかし10月24日に規矩士が蒲田にあった黒澤家を訪問したことが、弟三郎氏の日記に書いてある。(2023年3月28日訂正)

tanakakeiichisaburou.hatenablog.com

 

その家(大井町の家)で、すみこ、豊増昇、井口基成の3名が一緒にレッスンを受けたそうである。

 

この時代規矩士は旺盛な演奏活動もやっている。東京音楽学校の学友会の演奏会出演、演奏旅行。そして室内楽にも意欲を見せ、「ベートーヴェントリオ」としてヴァイオリンの高階哲應、チェロの伊達三郎と組んで演奏活動もした。(左端が規矩士)

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ヴァイオリンの高階哲應は哲夫とも。札幌の時計台の歌を作った方のようです。

kotobank.jp

伊達三郎は、後のピアニストで東京藝術大学教授の伊達純氏の叔父。関西で活躍をしたようです。

伊達三郎が楽壇に残したもの』     柿崎眞吾

http://senriyama-kai.la.coocan.jp/kaishi/10k/senriyama-kaishi(10)7-25.pdf

この「ベートーヴェントリオ」は1927(昭和2)年くらいまで演奏活動をしたようだ。

音楽年鑑 : 楽壇名士録. 昭和4年版に記載がある。(44コマ64ページ)

国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されている。

dl.ndl.go.jp

雑誌「音楽」昭和23年6月号に「大正15年音楽学校出張演奏」記事のヴィオラに田中規矩士の記載がある。この時代はオーケストラ楽器奏者がかなり不足していて、ピアノ科学生、教員もオーケストラ楽器を学んで管弦楽曲のコンサートに出演していたらしい。田中規矩士はどうやら弦楽器も弾けたようである。(この項目梅岡楽器サービス梅岡俊彦氏より教えていただきました。梅岡様ありがとうございました。)

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そして作曲にも意欲を見せ、1921(大正10)年雑誌「音楽」11月号に洋琴独奏曲〈情調詩〉発表。

1931(昭和6)年1月16日から20日まで 演奏旅行(京都―名古屋)岡崎公園公会堂(京都)名古屋市公会堂(名古屋)にて《アンダンテ及アレグロ》を自作自演した。

そして山田耕筰の『簡易作曲法』のノートをしたようだ。

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規矩士の山田耕筰著『簡易作曲法』が書かれたノート

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ノートの前の方には、和声連結の練習が書かれている。

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山田耕筰著『簡易作曲法』ノート

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この〈伊勢詣で〉という曲は、規矩士の作曲なのだろうか?昭和6年という日付が書いてある。(軽やかで楽しい曲です。筆者のお気に入りでよく鼻歌していますよ(^.^))

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弾いてみた。

www.youtube.com

作曲以外にも1924(大正13)年アルス音楽大講座第五巻実技編Ⅰ(アルス社)ピアノの実技の中の「チェルニー30番」を執筆。

教育、演奏、作曲と旺盛な音楽活動をしていたのであった。