そしてベルリン国立高等音楽院教授レオニード・クロイツァーに師事。ピアノ修行に励むこととなった。
規矩士すみこの旧宅に残されていたクロイツァー教授の写真。
この写真は規矩士ベルリン時代のもの?と推測する。ピアノはブリュートナーのようである。
残念ながら規矩士がどのようなレッスンを受けたか、そして何の曲のレッスンを受けたかは現在の所資料が見当たらない。規矩士とすみこの旧宅は戦災に遭っていないので、もっと探せば何か出てくるかもしれない。
しかしこのような楽譜が何冊か出てきている。セルゲイ・リャプノフの楽譜。買った店のものと思われるハンコやエンボスが押してあった。よく見るとベルリンと書いてあるようである。なので、これらの楽譜は規矩士がベルリンで買い求めたのでは?と思う。
表紙の下の方にエンボスがある。エンボスを拡大。
ベルリンと読める。
そしてこの楽譜はよく見ると何か使用感がある。ペダル記号、そしてカギ括弧。このカギ括弧はクロイツァー独特のもので、フレーズの最初を示すものとして、クロイツァーの著書に多く書き残されている。このカギ括弧が鉛筆で書きこまれているので、この楽譜はひょっとして規矩士がクロイツァーのレッスンを受けたもの?と推測する訳である。
セルゲイ・リャプノフ(1859‐1924)ロシア出身のピアニスト、作曲家。1911年にサンクトペテルブルク音楽院教授となったが、革命の時代にパリに移り1924年同地にて亡くなった。クロイツァーとは旧知の仲だったようである。なので筆者はクロイツァーが弾いたかベルリンのクロイツァーの門下生が弾いたかでこの曲を知った規矩士が、自分でも弾きたくなって、又はクロイツァーの指示か何かでベルリンで楽譜を買い求め、レッスンを受けたのかと推測している。
(ブログのカバー写真の楽譜はこの楽譜を使いました。推測ですが規矩士の形見の品と思っています。手前のクマのぬいぐるみは、すみこの形見の品です。最晩年すみこがアシスタントのにしきさゆりに「これあげる。持って行ってよ」と言われ、にしきさゆり宅にやってきました。それ以来にしきさゆりの音楽教室で、いろおんぷの生徒さん、いろおんぷを卒業した大きな生徒さんを見守ってきました)