この原稿はいつ書かれたのかはわからない。多分後年「ベルリンの思い出を」と言われて書いたのでは?と思う。何かの雑誌の原稿?それとも個人的に書いたもの?詳細は不明であるが、規矩士がいたころのベルリンの雰囲気、そして規矩士のベルリン時代の話として有意義であると思うので、ここに紹介をする。しかし筆者は90年前とはいえ古い旧仮名遣いで書かれた文字を読むのは得意ではないので、読み下せない、読み間違いもあるかと思う。ご容赦いただきたい。
(打ち直します。仮名遣いは現代仮名遣いに改めました。現代では相応しくない言葉遣い、単語がありますが、書かれた当時の原文のままにします。差別を助長するものではありません。)
音楽シーズンは我が国では大体春秋の二季ですが、ベルリンでは秋からはじまってその翌年四月までにおわります。
新緑の頃は誰も家にくすぶる者はなく、野山はそれらの人々で賑わいます。
9月に入り秋風が吹くころになりますと、急に所々の辻の広告塔に、このようなポスターが張られます。
日本のポスターよりも幾分大きいようですが、沢山貼られるとなかなか美しいのです。何しろ一晩に五、六ヶ所のザール(ドイツ語でホールのことです)色んな音楽会が行われるのですから、自然と宣伝が盛んになるのは道理はありません。
世界的有名な人々のリサイタルともなると、とても人気が大変です。(人気があってなかなかチケットが手に入らないと言っているのか?)
殊にベルリンフィルハーモニーオーケストラの演奏会の如きは、入場券を買うのにさえ一苦労をします。前売券は余程前から買っておく必要があります。
音楽学校の総練習の如きのものが日曜日の午前11時半からありますが、私共は皆それに参ります。この種の音楽会は日、月の二日開かれますが、日曜日の安い入場料の総練習で充分であります。
どこでも安い所を選ぶのですが、それでも思いがけず費用の(がの間違い?)かかるので閉口いたします。
とにかくシーズンとなると毎晩良い音楽会が続くので、すっかりベルリンは音楽の大洪水の中に入ってしまいます。音楽会の入場料は大体日本と同じですが、プログラムを買うとか外套を預けるのが一寸日本と異なって珍しい点でしょう。下足の心配は全く無用ですが、音楽会と対抗して。(1枚目終わり)
2枚目
一方にはオペラがおこってきます。オペラも毎晩三カ所の劇場で連続的に行われます。オペラのポスターは極めて小さいものですが、音楽会のポスターや、これらが町に貼られる頃には、ベルリンの民衆はすっかり熱狂してしまいます。
最も新緑の頃とて音楽会のないことはありません。
大抵そのころは公園とか人々の沢山集まりそうな緑葉したたる広場を選び、軍楽隊の演奏、巡査のバンド、等が行われていますから、結局一年中何かしら聴けることになります。
カフェーなどに廻ればつまらぬものながら、種々の室内楽はそれこそ一年中聴けます。中には相当にやるところもありますので、あらゆる点ですっかり恵まれています。
何しろオペラはワーグナーの大物をどしどしやるような塩梅で、何処のザールも毎晩満員の盛況です。こんな盛況はとても日本では見ようと思っても見られません。ベルリンの人は音楽の為には全く寝食を忘れてしまいます。
彼等は自分の聴こうとする音楽に対して少なからずお金を費します。町を練り歩く乞食音楽師にさえちょっとした奴がいるので、なかなか馬鹿には出来ません。といってもいくらか呈して聴こうとも思いませんが、時にはただでもっときかしてくれたらと思うことさえあります。
この種の芸術家には感心に今日まで一銭も与えませんでした。一般民衆は何かあるものを理解しているようです。しかも尚、彼等の美点は、音楽を聴かんとする態度の極めて真面目であると思うのであります。(2枚目終わり)