1943(昭和18)年11月8日(月)。日本青年館にてこのような演奏会があった。規矩士すみこ夫妻の2台ピアノリサイタル。
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当日のプログラム
そして同じ1943年(昭和18)12月18日(土)日比谷公会堂にて東京音楽学校主催の演奏会。この演奏会は「軍用機献納披露」とされている。(『東京芸術大学百年史演奏編2』756ページ)
そして規矩士すみこ旧宅よりこのような手紙が出てきた。
内容は非常に読みにくく、今一つ内容が理解できないのですが、
「計画中の戦闘機献納に関してはひとかたならぬご高配をいただき感謝する。つきましては12月18日日比谷公会堂にて『航空機献納の披露』をするので、壇上に並んでいただき、ご挨拶をいただきたい」
と書いてあると推測する。(読みにくい!)
そしてすみこが東京音楽学校のクラスメイトに以下のように書き送っている。
「演奏会の純益500円は音校号、200円は音楽号に献納させていただきました」
1942(昭和17)年に東京音楽学校に入学した作曲家團伊玖磨は、『東京芸術大学百年史』にこう書いていた。
「戦争中の音楽学校は、下界から押し寄せる時代の波と、注がれる無理解の視線に耐えなけらばならなかったために、教官も学生も同志的な結合で結ばれていた。日本唯一の官立の音楽専門学校にも「取りつぶし」の動きがつたわってきて、そうした動きを避けるためにチャリティコンサートをやって、その収益で戦闘機だか練習機だかを軍に献納したりせねばならなかった。」(391ページ。筆者意訳)
1941(昭和16)年12月8日、真珠湾攻撃で太平洋戦争開戦。初めのころは意気揚々であった日本軍も1943(昭和18)年のころになると、戦局が怪しくなってきていた。
1942(昭和17)年6月7日 ミッドウェー海戦で日本軍大敗。1943(昭和18)年2月 ガダルカナル島撤退。ソロモン海戦敗北。1943(昭和18)年5月12日 アッツ島玉砕。同盟国イタリアが9月に降伏。
大敗を転進、玉砕と言い換えてみたものの、国民は「戦局が怪しい」ことを薄々感じていたようだ。しかしこの時代には「治安維持法」があった。「戦争反対」なんて言おうものなら真っ先に「特別高等警察」に捕まってしまう時代である。
後のすみこのアシスタントであったにしきさゆり(1932年昭和7年生まれ。1959年昭和34年よりすみこのアシスタントになった)は言う。
「私の父はどういう訳か正直に『イタリアも降伏してしまった。ガダルカナルも撤退。この撤退は結局負けたということであろう。もう日本は世界を相手に戦っているようなものだ。このままでは戦争に負けるよ』と周り中に言っていたのよ。私はお父さんがそんなことばかり言うので『特高に捕まってしまうのでは』と、とても心配したのよ」
そういう時代であった。