そして1970(昭和45)年ごろ?(筆者は子供だったのではっきりした年月は覚えていない)にしきさゆりも「はっきりした年月は覚えていない」と言っている。
改築工事をして、奥の和室を手前の玄関脇に移築した。平面図。
女中部屋を台所に改装。次の間は事務室となった。ここの事務室にはすみこの父、黒澤貞次郎デザインの書類棚を置いていた。
移築した元和室にもピアノを入れて、ここもレッスン室として使用した。「ドレミルーム」という名前だった。
玄関ホールには何故か人形が置いてあった。
にしきさゆりの思い出
「すみこ先生が早期教育適期教育と言うもんだから、まだ赤ちゃんなのに『教えてください』って来るのよ。で、すみこ先生がどこからかこの人形を持ってきて、『このお人形さんより大きくなったらやりましょうね』という目安にしていたのよ」
筆者は子供のころ、この人形がちょっと怖かったです(^^ゞ。
そして庭には池があった。この池にはおたまじゃくしがいて、筆者も貰ってきたものである。
2020年8月。
そして改築した時にサンルームを作った。
2020年9月。家の片づけをしていたので段ボールが並んでしまっている。このサンルームの右隣に井戸があった。(白い円筒形のポンプが見える)この井戸の水をサンルームに流して、夏に涼しく演出することも出来たそうである。
にしきさゆりの思い出
「この水の流れるサンルームはすみこ先生の自慢でね、夏に水を流してお客様をおもてなししていたわ」
サンルームに佇むすみこ
サンルームの前に立つすみこ
2階は規矩士すみこのプライベートゾーン。なので紹介は割愛させていただく。しかし残された絵や資料から戦争中は2階でお茶をしたり、2階に下宿をしたりした生徒がいたようでもある。
トイレに残っていた窓枠