田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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63.規矩士すみこのステキなおうち2

さて、規矩士とすみこのステキなおうち、そして二人の自慢だった家を見ていくことにしよう。

2020年8月、取り壊される前に清水建設の方が調査記録に来てくださった。筆者も同席したので、その方の話も交えて紹介したいと思う。

全体の写真。建築当時のものと思われる。

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家の平面図

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入口。右側に門灯がある。門灯に「田中」とデザインされている。オシャレですね。筆者写す

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玄関の靴箱。座る所がついている。筆者はこれを「バリアフリー」かと思ったのですが、清水建設の方によれば「昔の男性の靴は紐で結ぶものが多い。だからここに座って靴の紐を結ぶのですよ」

なるほど!

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玄関ホールから玄関を見る。清水建設の方によれば、この窓枠も「田中」をデザイン化したものかもしれないとのことである。筆者写す。

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ここの玄関に立つと、すみこの所に集った全国いろおんぷ協和会の会員たちが、「すみこ先生こんにちは」「すみこ先生さようなら」と言う声が聞こえてくるようである。

玄関ホールから奥を臨む。緑色の壁はすみこ亡き後貸家にした時に塗ったもののようである。オリジナルは多分白色壁と思われる。(漆喰?)

白色の床も塗り直してあり、オリジナルではない。

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入って右側がすみこのレッスン室、すみれの間。左側が規矩士のレッスン室「きくの間」。

この二つのレッスン室の入口の扉。この扉のガラスは清水建設の方の話では「モロッコガラス」といって、今では作ることが出来ない貴重なものだそうである。

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すみれの間。

この部屋の窓は、おもりがついていて好みの所で止まる仕掛けになっているそうである。規矩士すみこ存命のころは、ここでもレッスンをしていた。ここの壁もオリジナルではないようだ。書き残されたものに「ピンク色」というものがある。ピアノはアップライトピアノであったり、グランドピアノであったりした。

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きくの間

規矩士すみこ自慢のスタジオ兼レッスン室。2020年8月筆者写す。

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音を出す関係上、窓は二重窓になっていた。(外からの音を防ぐ意味もあったかもしれない)

1段高いステージが作ってあって、そこには2台の戦前のドイツ製ベヒシュタインピアノが並んでいた。在りし日のすみこ。

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田中規矩士、きくの間にて。字を書いたのはすみこ。(1934(昭和9)年ごろ)

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きくの間での講習会。

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ここのステージの右側には引き戸があって、二つに分けることも出来た。(筆者の記憶ではたいてい開いていたと思う)

飾り棚には筆者が伺っているころは、すみこの業績、出版物、発明品が飾ってあった。

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隣が丸い窓。「この窓から未来が見えるのよ」とすみこは周りによく語っていた。

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棚の所。筆者が子供時代、よくここで母の仕事が終わるのを待っていた。そうするとすみこがおやつを持ってきてくれた。懐かしい場所でもある。


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建築当時はきくの間の奥に次の間付きの和室があった。この和室には規矩士の母が住んでいたと伝えられている。規矩士の母亡き後、そして規矩士亡き後のすみれ教室全盛期には、この和室は講師控室となり、「講師の集まりやパーティーでもよく使用された」とにしきさゆりが言っている。

にしきさゆりの話。

「すみれ教室ではよく講師の集まりとかパーティーとかあったのよ。4月1日はいつも「例会」といって年度初めの「講師会」。話し合いとかがあったわ。場所は和室だったわ。終わるとすみこ先生がご馳走を用意してくださってね。すみこ先生はタンシチューが得意料理だったのよ。夏には縁側から外に出てガーデンパーティーよ。冬はおでんパーティーもあったわね。クリスマスの時は家中が飾られてね、パーティーもあってそれはそれは華やかでステキだったのよ」

昭和30年代のすみことすみれ教室の全盛期の賑わいが見えるようである。

次の間の前は女中室。昭和初期のお屋敷なら大抵あった部屋である。昭和30年代からのすみれ教室全盛期には、ここにもアップライトピアノを運び込んでレッスンをしたそうである。

女中室の隣は電話室。昭和初期のお屋敷には「電話室」というものがあったようである。

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電話室の壁に電話料金表が貼ってあったようだ。残骸が残っていた。

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電話室の前には、呼び鈴が残っていた。つまり各部屋でスイッチを押すとブザーが鳴って押した部屋の番号が見えるというものだと思う。

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ふたを開けてみた。

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こんな感じで動いたのでは?

www.youtube.com

電話室の奥にもトイレがある。平面図WC②である。このトイレは女中専用であったようだ。しかしすみれ教室全盛期にはそんなことは言っていられなくて、講師の先生、生徒みんなで使った。しかしすみれ教室が縮小されるにつれて、ここは倉庫となった。倉庫となったので昔のまま残っていた。

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昭和初期のトイレの遺構かもしれない。

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そして階段。この階段は旧東京音楽学校奏楽堂の階段を連想させる。

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階段の窓。この緑色の壁はすみこ亡き後に貸家にした時に塗ったものらしい。オリジナルではない。

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東京音楽学校奏楽堂の階段。2021年4月に筆者が写す。この階段も規矩士、すみこが上り下りした懐かしいものであろう。

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平面図WC①のトイレの入口には、すみこが書いたものが残っていた。このトイレは後ほどウォシュレット式洋式トイレに改装された。

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