同サイトに掲載されている竣工直後の校舎本館(1922年)。規矩士はこの校舎で授業をしたと思う。
現在の校舎本館。現在は大学三号館と言うそうである。2022年4月筆者写す。
1922年撮影とあるので、ひょっとしたらこの写真に写る学生は規矩士から音楽の授業を受けたかもしれない。
さて、規矩士は臼井武夫の回想によると
「咽喉を大切にされて、冬はマスクをした上に、厚い毛のマフラーを目まで隠れそうに顔を覆って居られた」と書かれている。胃が弱かったという伝承もあるので、健康には人一倍気を付けていらしたのかもしれません。
規矩士が見ていた景色より少し後であるが(1930年代)同じような景色を規矩士も見ていたと思う。
余談:この街は「えごた」なのか?「えこだ」なのか?