田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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77.ピアノコンサート「田中邸に響く音」報告4 コンサートのプログラム2

曲目解説 

第1ステージ      錦織麻里

ドビュッシー:『ピアノのために』より《前奏曲

Debussy:Pour le piano “Prélude”

ドビュッシー:『前奏曲集第一巻』より《ミンストレル》

Debussy:Préludes 1 “Minstrels”

ドビュッシー:『ベルガマスク組曲』より《月の光》

Debussy:Suite bergamasque “Clair de lune”

 

 規矩士はドイツ、ベルリンに留学をしましたが、フランス近代にも興味があったようです。遺されている楽譜はドビュッシーラヴェルといったフランス近代の作曲家のものが意外に多くあり、筆者を少し驚かせました。

 1975年(昭和50年)、すみこは東ドイツのピアノメーカー「ブリュートナー」を購入。とても柔らかい音のピアノで、ドビュッシーなどが良く似合うピアノでした。

 ドビュッシー:『ピアノのために』より《前奏曲》は、2003年に筆者が「すみっこ会」で演奏した曲。すみこもこの場にいました。

 ドビュッシー:『前奏曲集第一巻』より《ミンストレル》は1932年(昭和7年)の規矩士のリサイタルで演奏されました。謹厳実直と言われている規矩士ですが、実はお笑いも好きだったようで、柳家金語楼のファンということも伝えられています。

 ミンストレルとは元々は中世ヨーロッパ宮廷の吟遊詩人や宮廷道化師のことを指しますが、これが19世紀アメリカで「ミンストレル・ショー」として一世を風靡しました。いわば大衆演劇です。

歌い踊ったり、コントをしたり、漫談をしたり。日本では「寄席」というのがわかりやすい。今で言ったら動画サイトのショート動画のお笑いといった感じかもしれません。次から次へと脈絡のないメロディーが続き、ある時はお笑いコント、ある時はラブソング。ドビュッシーはこの様子をピアノ曲に仕立てました。

 ドビュッシー:『ベルガマスク組曲』より《月の光》は、1975年(昭和50年)のブリュートナーピアノのお披露目の時に、にしきさゆりが弾きました。曲目はすみこと相談の上決めたのだそうです。

 この曲の月はどこを照らしているのでしょう?一説にはフランス、ヴェルサイユ宮殿の庭を照らしているとのことです。夜の庭では貴族と貴婦人たちがひそやかに恋をささやく。元々は《感傷的な散歩》という題名であったのが、後に出版された時に《月の光》となったようです。

 ドビュッシーは詩人ヴェルレーヌの詩が好きで、特に『雅なる宴』の中の「ベルガマスク」という言葉を好んでいたようです。「ベルガマスク」というのは「ベルガモ風」という意味があり、北イタリアはベルガモ地方が発祥と伝えられている即興仮面劇を連想させます。実際ヴェルレーヌの詩はその劇団員が夜、月明かりの中、次の興行地に移動するさまを描いているとも言われていますが、17世紀フランスロココの画家、ヴァトーの描く月明かりのピエロを連想させるものかもしれません。ドビュッシーはどのように考えたかは不詳ですが、この曲は彼が好んだ「ここでない何か」を具現化した曲の一つでしょう。

 クロード・アシル・ドビュッシー1862年パリ近郊のサンジェルマン・アン・レ生まれ。(パリ中心部からRERという近郊電車で簡単に行くことが出来ます)1918年3月、第一次世界大戦下の中、パリにて死去。人生の大半をパリとその近郊で送った生粋のパリジャンと言えそうです。

 規矩士が1897年生まれ、すみこが1909年生まれ。規矩士とすみこが音楽の活躍を始めたころ、ドビュッシーは「最近亡くなった作曲家」であったということである。二人の人生とドビュッシーの人生が重なる。戦後もだいぶ経って生まれ、昭和末期から平成に学生時代を送った筆者から見ると、このことは何だか不思議な感覚にとらわれます。