田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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105.【田中規矩士・たなかすみこをめぐる人々】3 錦織さゆ里(にしきさゆり)「ピアノとともに―たなかすみこ先生との48年の日々」はじめに

(2024年8月10日投稿)

第1回、第2回と同席をした錦織さゆ里さんが7月に92歳となりました。

彼女は幼少期身体が弱く虚弱児。小学校は「養護学級入学を命ず」だったのが、なんと92歳のお誕生日を迎えることが出来ました。

幼少期に身体が弱いのと、長寿は関係ないんですね。

錦織さゆ里さんは長じて武蔵野音楽大学を卒業。たなかすみこ先生とのご縁があって、アシスタント先生として48年間そばにいました。

第2回で登場した角田光さんとも長年一緒でした。

たなかすみこ主宰「全国いろおんぷ協和会」の広報部長として、そして長年いろおんぷの先生としての活躍もありました。「全国いろおんぷ協和会」内では有名人だったようです。

92歳のお誕生日を迎えたので、彼女のピアノとの出会い、そしてたなかすみこ先生との出会いを書き記したいと思います。

なお、にしきさゆりとは、たなかすみこ先生が授けた芸名。「にしきおりさゆり」は長いからということだったようです。すみこ先生は芸名やニックネームをつけるのも上手だったようで、いろいろな人に芸名やらニックネームを授けていますが、定着したのは錦織さゆ里さんの「にしきさゆり」だけだったようです。

「全国いろおんぷ協和会」内では「にしきさん」「にしき先生」と呼ばれていました。たなかすみこ先生も角田先生も「にしきさん」と言っていました。

協力者:錦織さゆ里(1932年(昭和7年)名古屋に生まれる。田中規矩士の妻、たなかすみこの48年にわたるアシスタント。1957年(昭和32年武蔵野音楽大学ピアノ科卒。加藤恵美子、小津恒子、木村富貴子の諸氏に師事。この聞き取りには「さゆ里」と称する。

聞き取り:錦織麻里(錦織さゆ里長女。この聞き取りには麻里と称する。)

・聞き取りによって得た内容のうち、筆者が見出しをつけて示しました。

・発言者の敬称は省略しました。

・丸括弧は書き起こしの際に中の人が補った部分です。

(文責:錦織麻里)