田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版

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25.田中規矩士演奏活動の記録1(2022年7月現在わかっている範囲です)

参考文献:『東京芸術大学百年史演奏会編』

その他雑誌の広告、プログラム  新聞記事など

 

1918年(大正7年)4月27日 学友会第二十三回土曜演奏会。本科3年の時に出演

七、洋琴独奏 奏鳴楽独奏 変ホ長調 作品一二二 アルレグロ モデラート(一楽章)...シューバート

シューベルト作曲ソナタ作品122 D 568 第一楽章)

 

 

1919年(大正8年)3月25日 本科卒業式には栄えある卒業演奏に選ばれました。

六、ピアノ独奏 変イ長調コンチェルト 第二番...フィールド

(フィールド作曲ピアノ協奏曲第2番

 

1919年(大正8年)7月5日 学友会第二十六回土曜演奏会

十、洋琴及びチェルロ合奏  チェルロ 酒井悌 洋琴 田中規矩士

奏鳴曲第二 作品五の二番 .....ベートーヴェン

 

1921年(大正10年)3月25日研究科器楽部卒業。こちらも栄えある卒業演奏会に出演です。

七、ピアノ独奏 維納の謝肉祭の遊戯(第一番作品二十六).....シューマン

シューマン作曲ウィーンの謝肉祭の道化作品26 第1番)

1923(大正12)年1月より、東京音楽学校教務嘱託になる。これよりの出演は教員としての出演となる。

1923年(大正12年)12月23日の学友会秋季大演奏会

十一、ピアノ三重奏 ピアノ田中規矩士 ヴァイオリン高階哲應 セロ伊達三郎

トリオ第四番........ベートーヴェン

この3名はベートーヴェントリオとして、1927年(昭和2年)ごろまで活躍したようである。詳しいことは別稿にて。

 

tanakairoonpu.hatenablog.jp

 

1924年大正13年)3月2日学友会ご成婚演奏会(御慶事記念大演奏会)

三、ピアノ独奏 スケルツォ変ロ短調......ショパン

ショパン作曲スケルツォ第2番作品31変ロ短調

 

1924年大正13年)11月7日埼玉県浦和市に演奏旅行。2ステージに出演

二、ピアノ独奏 メヌエット作品六十四......パデレフスキ

(パデレフスキのメヌエット作品64という曲は存在しないようです。何かのミスプリントかもしれません)

テウロルドハウゲンにての結婚式(作品六十五、第六番).......グリーグ

九、小歌「余は唯一の小舎を持つのみ」を基とせる八の変奏曲........ベートーヴェン

(偽作の疑いがあり、最近ではあまり演奏されないようです)

 

1925年(大正14年)6月27日、28日学友会春季演奏会

10.ピアノトリオ   ピアノ田中規矩士 ヴァイオリン高階哲應 セロ伊達三郎

アンダンテ、エスプレシボ......メンデルスゾーン

遺稿三重奏......ベートーヴェン

1925年(大正14年)10月4日ベートーヴェントリオ演奏会 丸の内報知講堂

ベートーヴェン:遺作三重奏曲

シューベルト:作品100

キイチネル:作品97の1

メンデルスゾーン:作品66

(2022年7月9日書き加える。読売新聞1925年(大正14)年9月27日号に記載)

1926年(大正15年)ごろ 於南葵楽堂

雑誌「音楽」昭和23年6月号に「大正15年音楽学校出張演奏」記事のヴィオラに田中規矩士の記載がある。この時代はオーケストラ楽器奏者がかなり不足していて、ピアノ科学生、教員もオーケストラ楽器を学んで管弦楽曲のコンサートに出演していたらしい。田中規矩士はどうやら弦楽器も弾けたようである。

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(この項目梅岡楽器サービス梅岡俊彦様より教えていただきました。ありがとうございました。)

1927年(昭和2年)10月8日 ベートーヴェントリオ演奏会 丸の内報知講堂

ハイドン:作品6の(活字潰れ)

モーツァルト:作品15‐1

ベートーヴェン:作品70‐2

メンデルスゾーン作品66

(2022年7月9日書き加える。読売新聞1927年10月5日号に記載がある)

国会図書館の音楽年鑑 : 楽壇名士録. 昭和4年版に記録が残る1927年(昭和2年)の演奏会はおそらく上記のものであったと思われる。

dl.ndl.go.jp

14コマ5ページに記載。

この後規矩士はベルリンに留学をする。